×

大宮・塚本アンバサダーの挑戦 今年は自転車で1200キロ走破

[ 2016年8月24日 10:50 ]

大宮の塚本泰史アンバサダー

 大宮の塚本泰史アンバサダー(31)が9月4日、NACK5スタジアムから佐賀県小城市まで、1200キロを8日間かけて自転車で走破するチャレンジに出発する。2010年1月に右膝に骨肉腫が見つかり、病気と闘いながら、「もう一度ピッチに」と、リハビリしながら毎年チャレンジを続けている。12年に東京マラソンに出場、13年は富士山へ、14年は大宮から仙台まで自転車で行き、昨年はトライアスロンに挑戦した。

 「自転車なら足の負担が大きくないので、自分の体と相談して決めました」

 小城市は塚本さんと同じ病気で中学生の時に亡くなった梅崎太助(だいすけ)くんの出身地で、両親とは今も交流が続いている。3月9日が誕生日で、「ありがとう」の言葉を残して天国へ旅立った梅崎くんの生きた証を残そうと、当時の少年団関係者らが始めた「三・九(サンキュー)カップ」という小中学生のサッカー大会が開催される9月11日にゴールを設定した。

 「骨肉腫と言われた時は、信じられなかった。先生の話を聞いた時は心に穴が空いた感じで、何も考えられなくて、ただ涙があふれた」。自ら状況を説明することを希望。2月に会見し、「もう一度ピッチに立てるように、病気と闘います」と、話すと全国から応援が届いた。中には他チームのサポーターからも。「普通じゃ考えられないこと。それまで、サッカーばかりで周りのことなどあまり見えなかった。病気になって失ったものもあるが、得たものも多かった」右膝の腫瘍を摘出する手術を受け、骨の一部を取ったために膝は人工関節になった。病気そのものは克服し、今は半年に一度定期検診するだけだ。

 だが、「もう一度ピッチに」と、夢を持って治療やリハビリに取り組んでいるものの、プロセスは厳しい。そんな塚本さんを支えているのは病室で一緒だったバスケットボール選手の女子高校生の言葉だった。登山に例えて「登り終えた時は、もう嫌だと思うけど、山はまた登りたくなる。休みたい時は、休めばいい、やりたくなったらやればいいんですよ」その選手は塚本さんと同じ骨肉腫と闘っていた。闘病も長く、すでに片足を失っていたが、「早く病気を治して、車いすでバスケットをやるんだ」と、話していた。「タイシさんも頑張って」と、塚本さんを励ましてくれたが、彼女は亡くなってしまった。

 今年6月、新潟の早川史哉が急性白血病を公表した。「塚本さんの復帰に向かう前向きな姿勢や取り組みに、僕も前向きに頑張らなきゃと思い、病気を公表して闘うことを決めました」と、塚本さんの存在が大きかった。フットサルの湘南・久光重貴や神戸の鈴村拓也はすでにがんを克服し、復帰を果たしている。道中でふたりともエールを交換する予定だ。

 「生きていればつらいこと、苦しいことはたくさんある。でも、普通の人が当たり前にできることが、どれだけ幸せかということを伝えられたら」

 チャレンジは兄・浩史さんが伴走し、1日160~180キロ走破する。「こういう環境に置いてくれたクラブに感謝したい。たくさんの人が支えてくれて」現在、浩史さんが所属する社会人チームで時々、ボールを蹴っているという。右足で思い切り蹴れないし、ダッシュもできないが、左足は以前と同様に蹴れる。「サッカーは楽しい。何もかも忘れられる」と、生きる素晴らしさ、サッカーの素晴らしさを届ける。(大西 純一)

続きを表示

2016年8月24日のニュース