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鹿島MFカイオ 差別の“暴力”を受けるも、反撃の“パンチ”振るわず

[ 2016年6月14日 11:50 ]

丁寧にファンサービスをするカイオ

 外車ばかりが並ぶクラブハウスの駐車場で、愛用する日本の国産車のボンネットに腰掛けた22歳は、穏やかに私たち報道陣へ問いかけた。

 「例えば、パンチを食らわせて、その後で“すみません”と言ったら、許してくれますか?」

 すぐに自分で答えを語り出した。

 「恐らく、やり返そうという思いになる。それは人間の本能なので、普通ではないかと思う」

 11日の浦和―鹿島戦後、鹿島のブラジル人MFカイオはツイッター上で人種差別的な言葉を受けた。投稿があったのは午後9時9分のこと。アウェーの中、白熱した戦いを終えた直後だったにも関わらず、カイオは時間を空けず投稿に返信した。「僕は黒人であり、自分の誇りでもある。神様がこの人を許して欲しいと思うし、この方が自分の人生にもっと愛情を持って欲しい。僕は黒人であることは誇りだからね」。

 なぜ、こんなにも冷静に、温かい言葉を紡ぎ出せたのか。怒りは沸き起こらなかったのか。冒頭の問いかけは、それに対する返答だった。そしてその後に続く言葉に、私はハッとさせられた。

 「人間は、他の動物に対して、しゃべることができる。自分が発言するものは、身体的な暴力より、もっと被害をもたらす場合もある。人間が持っている唯一の機能について、考えないといけない」

 想像よりも遥かに大きなスケールで「言葉の力」についての考えを明かした。

 人種差別を行った今回の投稿者に、どのような背景があるのかは分からない。ただ、投稿した瞬間は、言葉が持つ凄まじい暴力性にまで想像が働かなかったのではないかと思う。カイオが悲しむことも、その身近な人が涙を流すことも、Jリーグや両クラブを巻き込む大騒動に発展することにも。

 発言する側に悪意があるかないかの間には、もちろん大きな隔たりがあると思う。それでも、ときに悪意なく用いた言葉が、想像力の欠如で人を不快にさせることがある。私自身、過去に何度も上司から記事にする言葉の選択を注意された。例えば、事情があって転校した高校生アスリートの記事を書くとき、理由を一面的な側面から記すことは、転校前の学校を傷つけることにもなりかねない、と。想像力が欠けていた。いまだ気づいていないことも、きっと多くある。

 今回の投稿で“暴力”を受けたカイオは、反撃の“パンチ”を振るわなかった。慈愛に満ちた言葉で卑劣な言葉に立ち向かい、言葉の尊さを示した。「こういう発言をしたのは、その方に対する社会の処罰を求めているわけではなく、世の中には時たま軽率に発言してしまうことがあるので、気をつけるべきだよっていう意味のサイン」と語った。

 あまりある想像力の深さに、優しさに、心打たれた1日だった。(波多野 詩菜)

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2016年6月14日のニュース