ノジマステラ菅野監督 震災から5年…サッカーできる重みかみしめる日々

[ 2016年3月13日 09:00 ]

ノジマステラ神奈川相模原で指揮を執る菅野将晃監督

 「もう5年か、とも思うし、まだ5年か、という思いもある。それでも、必ず忘れないようにしないといけない」

 2009年から11年3月まで、なでしこリーグ1部・東京電力マリーゼの監督を務め、現在は同2部・ノジマステラ神奈川相模原で指揮を執る菅野将晃監督は、そう口にした。

 11年3月11日。福島県広野町のJヴィレッジを活動拠点としていた東京電力マリーゼは、宮崎で春季キャンプを行っていた。そこに突然飛び込んできた、東日本大震災のニュース。当時のチームにはDF鮫島彩(現INAC神戸)、DF長船加奈(現浦和)、GK山根恵里奈(現千葉)らが所属していた。「福島第1原発はマリーゼの選手が一番多く勤めていた場所。選手は普通の人たちよりもショックというか、どん底だったとは思う」。チームは震災発生後もキャンプを続けたが、選手の気持ちは乗るはずもない。「これでやっても成果はない、ケガにつながる」という現場の判断で、練習は中止に。チームはキャンプが終了する3月中旬まで宮崎に滞在した。

 宮崎キャンプ最終日の夜、菅野監督は選手全員を集めて、島崎藤村の「夜明け前」の一節を話して聞かせた。夜明け前が一番暗い、今は苦しいときだが、必ず朝は来る――そう訴えると、選手は全員号泣していたという。キャンプ終了後、東京電力から「自宅待機」を言い渡された選手たちは羽田空港で解散し、それぞれの実家に帰った。その後、マリーゼは活動自粛と休部が決定。菅野監督は「震災後、1カ月は何もする気が起きなかった」。4月下旬、広野町の自宅を訪れた際には、変わり果てた光景が目の前に広がっていた。

 そんなどん底の菅野監督を勇気づけたのは、ドイツW杯での鮫島の活躍だった。左サイドバックとして世界一に貢献した教え子を見て「やっと気持ちが前向きになって、チームの移管を自分なりに手伝えたら、と思った」。その後、菅野監督は、横浜FCやかつて指揮を執った湘南に、マリーゼの移管先になってくれるよう要請をして回った。マリーゼは最終的に仙台に移管されることになったが、最終段階まで移管先に手を挙げていたのが家電量販店の「ノジマ」だった。その縁もあって、菅野監督は12年2月に発足した「ノジマステラ神奈川(現・神奈川相模原)」の初代監督に就任。新たな一歩を踏み出した。

 「ノジマの歴史のスタートに、少しかもしれないけど震災やマリーゼも因縁があった。何かを失うけれども、新たなものもできる、とチーム立ち上げのときに思えた」

 12年に神奈川県リーグからスタートしたノジマステラは、順調に階段を上り、昨季のなでしこリーグ2部で2位。1部9位・大阪高槻との入れ替え戦は2戦合計2―2でアウェーゴール規定により1部昇格を逃したが、今季こそ「優勝と自動昇格を手にしたい」と誓う。東日本大震災から5年。サッカーができることの重みをかみしめながら、きょうも菅野監督はグラウンドに立ち続けている。(記者コラム・原田 真奈子)

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