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【J1記者推し】FC東京・水沼宏太 負けん気とチャレンジで“脱ジュニア”

[ 2016年2月13日 10:00 ]

鳥栖から今季FC東京に加入したMF水沼

 クラブ新記録の大量9得点で快勝した9日のチョンブリ(タイ)とのACLプレーオフ。フィテッセ(オランダ)に移籍した太田に代わってキッカーを務めるなどひときわ輝きを放ったのが、鳥栖から加入した水沼宏太だ。実に5得点に絡み、後半16分には名刺代わりの一発。明るく人なつっこい性格もあり、早くもサポーターのハートをがっちりつかんだ。

 高い技術と豊富な運動量はもちろんだが、水沼の真骨頂は何といっても強いハートだ。元日本代表の偉大な父(貴史氏)を持つがゆえ、良くも悪くも周囲から色眼鏡で見られ続けた。それを「すべてポジティブに捉えられる」という前向きな性格と、「親がなんとかと言ってくる人には、今に見てろよ!ぐらいの気持ちでやってきた」という反骨精神で、自ら道を切り開く、誰にも負けない強いメンタルを築き上げた。

 17歳だった07年に横浜でJデビューを飾りながら、くすぶっていた10年。岡田ジャパンが16強入りしたW杯南アフリカ大会をテレビで見て「自分が目指すのはこういうところ」と一念発起した。出場機会を求めてJ2栃木へ移籍。12年1月に「何かを変えたくて」と海外クラブの入団テストを受けたのも、強い精神力と飽くなき向上心があったからこそだった。海外クラブと契約に至らず、直後に移籍した鳥栖では「拾ってもらったからには恩返ししたい」と死にものぐるいでプレーし、最終的にはチームで絶対的な存在にまで上りつめた。

 そしてさらなるレベルアップのため、「居心地は良かった」という“安住の地”を去る決断を下した今回の移籍。その先には、チーム悲願のリーグ優勝、さらには「プロである以上、そこは目指していかないといけない」と日本代表入りも見据える。U―17日本代表時代の恩師でもある城福監督の下、強い信念を持った水沼が、新天地でさらなる飛躍を期している。 

 ◆水沼 宏太(みずぬま・こうた)1990年(平2)2月22日生まれ、神奈川県横浜市出身の25歳。横浜ユース所属の07年に17歳でJデビューし、翌08年にトップ昇格。10年7月にJ2栃木に期限付きで移籍し、12年には鳥栖に移籍。07年U―17W杯には主将として全3試合に出場した。1メートル76、72キロ。利き足は右。

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2016年2月13日のニュース