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原川 日本救った劇的V弾「五輪出場が一つの目標だった」

[ 2016年1月27日 05:30 ]

<日本・イラク>後半ロスタイムに決勝ゴールを決め、イレブンに祝福される原川(左から2人目)

U―23アジア選手権準決勝 日本2―1イラク

(1月26日 カタール・ドーハ)
 歓喜の人間ピラミッドの一番下で、殊勲の決勝弾を決めた原川が絶叫した。6大会連続の五輪出場を告げる笛が響くと、南野を皮切りに次々とチームメートに乗っかられた。「上に乗られてきつかったですね(笑い)。五輪出場は一つの目標だったし、うれしい。苦しい時間の方が多かったけど、皆で耐えられたことが勝因。勝つことしか考えていなかったので、実現できて良かった」。興奮冷めやらぬ会場で、冷静に汗を拭った。

 ラストチャンスをものにした。1―1で突入した後半ロスタイムも2分を経過。右サイドを突破した南野のクロスをGKがはじいたボールに、原川が反応した。「あまり覚えてないけど、いいところにこぼれてきたので、抑えて打つことを意識した」。ペナルティーエリア外でトラップして左足でゴール右隅に突き刺した。14年1月12日のU―22アジア選手権イラン戦で、手倉森ジャパンの第1号ゴールを記録。持ってるボランチが再び節目の一撃を決めた。

 内助の功が劇弾を後押しした。14年に結婚。メディカルチェックで鉄分が不足しがちな体質と診断されたこともあり、夫人は豚肉や大豆類を多く使った料理を作ってくれている。14年8月には第1子(長女)も誕生。「自分のためだけではなく、家族のためにプレーすることはモチベーションになる」。家族を五輪に連れて行く目標を掲げ、力に変えていた。

 今冬の移籍市場で下部組織から所属したJ2京都を離れ、川崎Fへ移籍。大島、中村憲らとの定位置争いが待つ厳しい環境を選択したのは、五輪本大会での活躍を見据えたものだ。決勝は30日。原川は「チームにはまとまりがあり、良い風が吹いている。(1次リーグから)6勝して五輪に行きたい」と力を込めた。“ドーハの悲劇”の2カ月前に生まれた背番号7が“ドーハの歓喜”を演出して歴史に名を刻んだ。

 ◆原川 力(はらかわ・りき)1993年(平5)8月18日、山口市出身の22歳。ジュニアユースチームのレオーネ山口でサッカーを始める。鴻南中卒業後の09年に同級生の久保裕也とともに京都U―18に入団。12年にJ2だったトップチームに昇格し同年7月の愛媛戦でデビュー。14年1月、J2愛媛へ期限付き移籍し7月の札幌戦でプロ初得点。同年12月にJ2京都へ復帰し15年12月に川崎Fへ完全移籍。U―16、18、20など各年代の代表を経験。1メートル75、70キロ。利き足は右。

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