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日本 リオ五輪切符獲得!“悲劇”の年に生まれた原川が決勝弾

[ 2016年1月27日 05:30 ]

<日本―イラク>後半ロスタイム、決勝ゴールを決めた原川(中央下)に駆け寄り喜びを爆発させるイレブン

 劇的ロスタイム弾でリオ切符もぎ取った。U―23日本代表はリオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねたU―23アジア選手権の準決勝でイラクと対戦。前半26分にFW久保裕也(22=ヤングボーイズ)のゴールで先制。前半43分に追いつかれたが、延長戦突入直前の後半48分にMF原川力(22=川崎F)が左足の豪快なミドルシュートを叩き込んで2―1で勝利。6大会連続の五輪出場を決めた。30日の決勝でアジアの頂点を目指す。

【試合結果 決勝T U―23日本代表メンバー】

 歴史は変わった。ドーハの歓喜だ。リオデジャネイロ五輪切符の獲得を告げるホイッスルが鳴り響く。選手が、スタッフが、そして手倉森監督がピッチ上で重なり合う。主将の遠藤の目には涙が光った。喜びが爆発する。手倉森監督は言った。「大和魂、魂の塊です」。先制し、同点に追いつかれた。それでも屈しなかった。興奮で声が上ずった。

 運命的なフィナーレだった。1―1の後半ロスタイム。MF原川のミドルシュートが突き刺さった。U―23代表の多くが生まれた93年。10月28日に、いわゆるドーハの悲劇は起きた。対戦相手は同じイラク、決戦の地も同じドーハ。勝てば初のW杯米国大会出場が決まる一戦で日本代表はロスタイムに同点弾を浴びW杯出場を逃した。あれから23年、今度はロスタイムのゴールに笑った。

 「まあ、しびれましたね。日本サッカーのことを思えばドーハの悲劇からロスタイムに(得点を)取るところもね、歴史を変える、いい勝ち方だった。ドラマのような年代の選手たちが、でき過ぎなくらいのシナリオですけど、神様のプレゼントかな」

 運命の一戦、勝負を懸けた手倉森監督は最強布陣を組んだ。股関節に不安のある鈴木、左脚付け根に違和感を抱えるMF遠藤らを先発させ退路を断った。1次リーグから多くのメンバーを入れ替え勝ち上がってきた。思えば14年1月のチーム発足以降、ベストメンバーで活動できたのは15年3月リオ五輪アジア1次予選だけ。イラク戦でベスト布陣が組めたのも、その過程があったからこそ。底力の勝利だった。

 12年のU―19アジア選手権でも準々決勝でイラクに敗れた世代。“谷間の世代”と言われ、6大会連続の五輪出場にも黄色信号とささやかれた。それでも手倉森監督は可能性を信じていた。「おとなしい世代と言われた。でもいつかはやってやろうという気持ちが実を結んだのだと思う。今から日本は強くなる。使命を持ってこの年代を強くしていきたい」と言った。

 手倉森ジャパンでは、2年前のU―22アジア選手権準々決勝、同アジア大会1次リーグでもイラクに敗れており、2戦2敗の天敵だった。壁を乗り越えてつかんだ五輪切符。試合後、選手からウオーターシャワーの手荒い祝福にも手倉森監督の顔には満面の笑みが浮かんでいた。30日にはアジアの頂点を決める決勝が控える。胴上げはアジアの頂点に立ってから行う。もう悲劇ではない。ドーハの歓喜をかみしめ、8月の五輪本番に向かう。

 ▽ドーハの悲劇 1993年10月28日にカタール・ドーハで行われたW杯米国大会アジア最終予選・日本―イラク戦で、日本は2―1とリードして後半ロスタイムに突入。そのまま逃げ切ればW杯初出場が決まる終了間際に、CKから同点ゴールを決められ2―2で引き分け。予選敗退となった。

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