澤、京川に送ったラブレター 継承されたなでしこエースの魂

[ 2015年12月28日 08:45 ]

12年5月の左膝手術前に、澤からもらった手紙を披露する京川

皇后杯決勝 INAC神戸1―0新潟

(12月27日 等々力)
 澤はINAC神戸に在籍した5年間で、有形無形の財産を残した。11年以降、この日の皇后杯も含めチームが得た主要タイトルは8つ。その全てに関わったのはもちろん、日々の練習から多くのメッセージを伝えてきた。

 「練習でできないことは試合でできない。練習もトレーニングも全て100%つぎ込む」がモットー。事実、練習から球際では誰よりも激しく体を張る。ミスをすると「くっそー」と声を上げて悔しがった。

 ピッチではシビアな澤も、サッカーを離れると後輩思いの優しい一面をのぞかせた。その一つが、なでしこのエース候補へ送った“ラブレター”だ。12年5月にFW京川舞が左膝の前十字じん帯断裂などで全治6カ月の大ケガを負った。当時、入団間もなかったストライカーは代表デビューも果たし、リーグ戦でも5試合5得点と絶好調。ロンドン五輪代表も夢ではなかった時期に一気にどん底へ突き落とされた。

 澤がお守りとともに、一通の手紙を渡したのはその直後だった。過去の経験を振り返りながら、復活を祈っていることを達筆な文字でしたためた便箋は3枚にも及んだ。自身も良性発作性頭位めまい症からようやく復帰したばかりだったが、京川は一緒に代表のユニホームも着たかわいい後輩。「書くことは好きだし形として残るものはうれしいから」と手紙という形で思いを伝えた。

 愛情あふれる手紙を今も大切にしている京川はこの日、出場機会はなかったが、澤の最後の勇姿を目に焼き付けた。「常に気にかけて背中を押してくれる存在。私もいつか日本代表の10番をつけてみたい」。澤は試合後、後輩たちへ「なでしこが輝き続けるためには結果が必要。それはしっかり伝えてきたつもり」とエールを送ったが、メッセージは確実に受け継がれている。

 ◇京川 舞(きょうかわ・まい)1993年(平5)12月28日、茨城県生まれの22歳。小2から堅倉スポーツ少年団でサッカーを始める。宮城・常盤木学園高から、12年にINAC神戸に加入。U―15から各年代の日本代表に選出され、10年にU―17W杯準優勝、11年にU―19アジア選手権優勝に貢献した。18歳でなでしこジャパンに初選出され、12年2月のアルガルベ杯ノルウェー戦でデビュー。国際Aマッチ5試合無得点。1メートル62、51キロ。ポジションはFW。利き足は右。

続きを表示

「サッカーコラム」特集記事

「南野拓実」特集記事

2015年12月28日のニュース