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必ず偉大な父超える…“PLの旗手の息子”の決意

[ 2015年12月8日 08:30 ]

静岡学園では背番号10を背負った旗手

 「旗手」(はたて)という名字を聞いてピンとくる人は、おそらく40代以上の高校野球ファンだろう。そして、84年にPL学園(大阪)の9番・遊撃として、甲子園で春夏連続準優勝した旗手浩二氏のことを真っ先に思い浮かべるはずだ。清原&桑田のKKコンビの1年先輩にあたり、のちに社会人野球のホンダ鈴鹿でも活躍した名選手である。

 そんな“PLの旗手”の長男・怜央(れお、静岡学園高3年)は、野球ではなくサッカーの道に進んだ。小学1、2年までは父とキャッチボールをしたこともあるが、小2から友人の影響でサッカーへと転向した。当時のポジションはFW。「シュートが決まったときや、練習して(シュートが)うまくいったときのうれしさがあった」。中学時代はボランチだったが、静岡学園入学後はドリブラーとして頭角を現した。2年生で出場した昨年度の全国高校選手権では、3得点を挙げてチームの8強入りに貢献し、大会優秀選手にも選出。父が現役最終年にプレーした99年の都市対抗野球以来、久しぶりに「旗手」の名を全国にとどろかせた。

 だが、当の旗手は複雑だった。「最初に“PLの旗手の息子”と(記事に)書かれてから、ずっとそう書かれていたので悔しくて。自分が父より上にいけばそう書かれないと思ったので、日本一への思いは常に持っていた」。甲子園で準優勝の父を超えるには、全国優勝しかない――そんな強い思いを心に秘めていた。

 最終学年になった今季は「静学に来たときからつけたいと思っていた」背番号10を与えられ、「他の選手との違いを見せないといけない」と責任感は増した。「自分が決めないと勝てない」という自覚から、居残りのシュート練習はほぼ毎日敢行。同級生に10番を奪われた時期もあったが、結果を出してエースの証を再び取り戻した。

 夏の全国総体に出場できなかった分、昨年度に続く全国選手権出場に照準を合わせてきたが、チームは県予選準決勝で清水桜が丘に0―1で敗戦。圧倒的にボールを支配しながら好機で決めきれず、相手にワンチャンスを決められて涙をのんだ。「個人的には県予選の中で一番いいプレーができたが、相手のマークをはがす力がなかった。静学のサッカーをもう一度全国で披露したかった」。それでも、静学での高校生活は「走りとか多くて苦しいことが多かったけど、ドリブルが一番うまくなったし、精神的にも強くなった。サッカーを楽しめた高校3年間だった」と振り返る。

 卒業後は関東大学1部リーグの強豪・順大へ進学し、4年後のプロ入りを目指す。「プロは平均的な選手ではなく、特長がずば抜けている選手がなれるものだと思う。大学では持ち味のドリブルとシュートをさらに伸ばしつつ、判断力と守備面のレベルを上げたい」。“PLの旗手の息子”ではなく「旗手怜央」という一人のサッカー選手として、飽くなき挑戦は続いていく。(原田 真奈子)

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2015年12月8日のニュース