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なでしこ 再度のシステム変更も混乱なし「経験豊富だからこそ」

[ 2015年7月6日 15:37 ]

<日本・米国>後半、5点目を奪われ天を仰ぐ澤。右は阪口
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サッカー女子W杯カナダ大会決勝 日本2―5米国

(7月5日 バンクーバー)
 ここまで1点差で勝ち進んできたなでしこジャパンが米国との頂上決戦で2-5。悲願の連覇は夢に消えた。前半15分までに4失点、FW大儀見の得点などで巻き返しを図ったが届かず完敗。かつて代表MFとして2度のW杯に出場した小林弥生さん(33=日テレ・ベレーザ育成組織アシスタントコーチ)に決勝戦について聞いた。

 まるで悪夢を見ているような序盤の失点劇。立ち上がりについて小林さんは「米国の方が気持ちが強く、勢いもあったように見えた」と振り返る。米国にとってカナダの地はほぼ“ホーム”ともいえるだけに、スタンドは米国サポーターで埋め尽くされた。「その雰囲気にも後押しされて米国は試合に入ることができた」。なでしこがアウェーの波に飲まれていたわけではないと前置きしつつ「守備に意識を置く中で、それがうまくいかなかった。ボールが奪えない状態も続いてしまった」。米国はその間隙を縫って、容赦なく日本ゴールを襲ってきた。

 ここまでは先制し、終盤にMF澤を投入して試合を締めるパターンが多かったが、この日は前半33分、DF岩清水に代わりピッチへ。同39分にMF川澄からFW菅沢、後半15分にはFW大野を代えFW岩渕を送り込んだ。この交代、特に岩清水については、マークしていたFWロイドに最初の2得点を許し、3失点目は自身のクリアミスからだった。「責任感の強い選手だけに、自信をなくしているように見えた」と振り返る。失点を受け止め、後の時間をどう戦うのか切り替える。フォーメーションも目まぐるしく変わったが策は尽くした。当初のゲームプランとは違う中で混乱がなかったのも「経験豊富ななでしこだったからこそ、それができた」と話す。

 ◆小林 弥生(こばやし・やよい)1981年(昭56)9月18日生まれ、東京都多摩市出身の33歳。ボランチからFWまでこなす万能型選手として日テレ・ベレーザひと筋にプレー。3度の大怪我を乗り越え、2000年に最多得点に輝くなどなでしこリーグ通算223試合に出場し、51得点をマーク。8度のリーグ優勝、7度の全日本女子選手権大会優勝など数多くのタイトル獲得に貢献した。女子日本代表としても1999年、2003年と2度のW杯と04年のアテネ五輪に出場し、国際Aマッチ通算54試合12得点。惜しまれつつ昨季限りで18年間の現役生活に終止符を打った。現在は日テレ・ベレーザの育成組織アシスタントコーチと、日本サッカー協会が主催する「こころのプロジェクト 夢の教室(ユメセン)」でスペシャルスタッフを務める。

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