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11・22天王山 浦和―G大阪(1)冷静さ失っていったペトロヴィッチ監督

[ 2015年1月30日 12:00 ]

昨年11月22日のG大阪戦、ベンチで手を広げる浦和・ペトロヴィッチ監督

 昨年のJ1リーグには優勝の行方を決める大一番があった。11月22日に埼玉スタジアムで行われた首位・浦和と2位・G大阪の決戦だ。勝てばリーグ優勝が決まる浦和は重圧に屈し0―2で敗戦。失速して8年ぶりの戴冠を逃した。天王山を制したG大阪は最終節で優勝を決め、ナビスコ杯、天皇杯を含め3冠の偉業を成し遂げた。日本中が注目した「ナショナル・ダービー」の裏で何が起こっていたのか。まずは浦和のミハイロ・ペトロヴィッチ監督(57)が思い描いていたストーリーに迫る。

 浦和の選手たちの目は血走っていた。激しい攻防の末に0―0のままハーフタイムを迎えた。「後半に勝負をかけるぞ!」。ロッカールームではムードメーカーの槙野らが声を上げた。

 そんな雰囲気の中、ペトロヴィッチ監督は、後半に臨むにあたってのメッセージを伝えた。「集中して、アグレッシブに続けていこう!」。この大一番で絶対に勝って優勝を決める。それが指揮官自身が夢にまで見たシナリオだったからだ。

 秘めた思いがあった。06年6月、今では焼酎をこよなく愛するほど日本通になった一人のオーストリア人が来日した。当時48歳のペトロヴィッチ監督だ。広島のタクトを任された指揮官は、日本のあるクラブに強烈な好奇心を抱く。それが人気絶頂を誇る浦和だった。

 その年の12月2日。浦和がホームでG大阪に勝ち、初のリーグ優勝を決めた。テレビの画面越しに伝わってくる埼玉スタジアムの熱気に感銘を受けた。「こんなに盛り上がる雰囲気が日本にあるとは知らなかった」。いつかレッズを率い、満員の埼玉スタジアムで優勝する。それが日本での明確な目標となった。

 8年の月日が流れ、ついに舞台は整った。12年浦和の監督に就任して3シーズン目。3月に起きた差別的横断幕騒動の影響で自粛していた人文字応援「コレオグラフィー」がこの試合から復活。しかも相手はあの時と同じG大阪。「当時、思い描いたものが現実になる」とデジャビュのような感覚にとらわれていた。

 赤いマフラーを巻き、熱い思いで挑んだ指揮官は冷静さを失っていった。後半、早々にマルシオ・リシャルデス、19歳の関根を投入。引き分けでも優勝へ前進する状況にもかかわらず、先手を打った。しかし、43分に先制点を許す。焦った指揮官は右腓骨(ひこつ)骨折で離脱していた興梠を送り込んだ。攻めに出た結果、再び相手の鋭いカウンターに沈んだ。

 「約6万人が詰めかける会場で感情のコントロールは難しい」。前日会見で精神面の重要性を指摘していた指揮官自らがそのワナにはまった。シーズンを通して浦和が目指したのが、戦況を見極めながら試合を進める「大人のサッカー」だった。皮肉にもそのテーマに相反する戦い方をしてしまった。ある選手は「“引き分けでもいい”という考えも必要だった」と嘆いた。敗戦を告げる笛が鳴ると、ペトロヴィッチ監督は右手で思い切りベンチを叩いた。

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2015年1月30日のニュース