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柿谷 涙の旅立ち…仲間の手で背番と同じ「8度」宙へ

[ 2014年7月16日 05:30 ]

<C大阪・川崎F>セレッソでの最後の試合を終え、胴上げされる柿谷

J1第12節 C大阪1―2川崎F

(7月15日 金鳥スタ)
 C大阪は川崎Fとホームの金鳥スタジアムで対戦して1―2で敗れた。スイス1部バーゼルへの移籍が決定している日本代表FW柿谷曜一朗(24)は国内最後の試合に後半38分から出場したが、勝利に導くことはできなかった。試合後の壮行セレモニーでは海外での成長を誓い、涙声でサポーターに別れを告げた。17日にスイス入りする。
【試合結果 順位表】

 涙を止めることはできなかった。試合後、ピッチ中央のマイクと向き合った柿谷は、言葉をつまらせながら語り始めた。C大阪サポーターへ向けた150秒間の号泣スピーチ。常に支えてくれた人たちへの決意表明だった。

 「バーゼルに移籍することが決まりました。正直、すごく悩みました。この8番のユニホームを自分から脱ぐことはどうしてもしたくなかった。でも、W杯に出て、もっともっと強くならないと、と思いました。優勝してから出て行くと言っていたのに…。本当に申し訳なく思っています。今より、もっともっと強くなって、もっと8番の似合う選手になって帰ってきたいと思います」

 試合2日前の練習は渡航準備のため欠席。当初はラストマッチのメンバーから外れる予定だったが、急きょベンチ入りが決まった。出番が訪れたのは1―2で迎えた後半38分。DF酒本に代わって左FWに入ると、さっそくドリブル突破で歓声を浴びた。だが、調整不足もあり、不完全燃焼のまま敗戦を告げるホイッスルを聞いた。

 4歳でC大阪の育成組織の門をくぐり、J2徳島への期限付き移籍期間も含めれば20年以上にわたって在籍した。「お兄ちゃんがほしい」と年上の存在にあこがれ、上のカテゴリーでプレーするためボールを蹴り続けたジュニア時代。世代別代表の常連となり、わがままを言うことも多く周囲を心配させたジュニアユース時代。悩み抜いた末に下したシーズン途中の海外移籍は最後のわがままだったかもしれない。

 だが、12年夏に清武がドイツへと渡ってから約2年間、エースとして戦い続けてきた男はサポーターから温かく送り出された。プロサッカー選手としての成長を求めて決めた欧州挑戦。「思い残すことはたくさんあるけど、もう、今はバーゼルの選手なんで。しっかり向こうでなじめるように頑張ります」。途中出場2試合のみに終わったW杯ブラジル大会。借りは同じ舞台でしか返せない。誰からも愛された天才FWが、誰よりも愛した背番号8に別れを告げ、新たなステージへと旅立った。

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2014年7月16日のニュース