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ブラジルで2つの祖国に思いはせるエドゥアルド「心はクロアチア人」

[ 2014年6月20日 14:00 ]

マンジュキッチのゴールを喜ぶエドゥアルド(22) (AP)

 リオデジャネイロのファベーラ(スラム街)、ビラ・ケネディ。路地裏でボールを蹴っていた少年、ドゥドゥは「僕もいつかはセレソン(ブラジル代表)になってW杯に出る」と夢見ていた。苦労の末、W杯出場の夢は31歳になってかなえた。しかも大会はブラジルでの開催――。ただし、身につけていたのはクロアチアのユニホームだった。

 FWエドゥアルド、愛称ドゥドゥは99年、16歳で東欧へ渡った。クロアチアはブラジル人選手の受け入れに熱心で、ストライカーの才能を発揮していたドゥドゥもディナモ・ザグレブから目をつけられた。01年にトップチームへ昇格すると、02年にはクロアチア国籍を取得してU―21代表、フル代表と国際試合でプレー。クラブでも国内リーグ2季連続得点王に輝き「これほど愛される外国人選手はもう出ないだろう」と呼ばれる存在になった。欧州CL予選で決めたゴールが敵将ベンゲル監督に評価され、07年夏にはアーセナル移籍と成功の道のりを歩んだ。

 08年2月のバーミンガム戦で悪質なタックルを受け、左腓骨(ひこつ)骨折と左足首脱臼で全治9カ月の重傷を負った。選手生命の危機と言われたが、クラブよりも先に代表で復帰した09年2月の親善試合ルーマニア戦で決勝アシスト。06年大会は若いとの理由で外され、10年大会はチームが出場を逃したW杯も3度目で出場権をつかんだ。

 「2つの国歌に泣くかも」と苦笑していた母国との開幕戦は出番なしも、カメルーン戦は後半24分から出場。28分に放ったシュートがGKにはじかれたところをマンジュキッチが押し込み、4点目が生まれた。「僕にはブラジル人の血が流れている。でも、心は今やクロアチア人だ」。2つの祖国へ思いを込めた、20分余りのプレーだった。

 ◆エドゥアルド・アウベス・ダシルバ 1983年2月25日、ブラジル・リオデジャネイロ生まれの31歳。ディナモ・ザグレブ(クロアチア)で05~06、06~07年シーズンと2季連続得点王。06年にクロアチア年間最優秀選手賞、06~07年に現在も同国リーグのシーズン最多記録に残る34得点をマーク。07年にアーセナル、10年にシャフタル・ドネツク(ウクライナ)へ移籍。代表通算64試合29得点。1メートル77、73キロ。

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2014年6月20日のニュース