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18年のプロ生活に別れ…JFL藤枝 斉藤DF兼監督が退団

[ 2013年11月29日 05:30 ]

藤枝MYFCの小山代表(右)から贈られた花束を手にする斉藤兼任監督

 JFL藤枝MYFCの斉藤俊秀DF兼監督(40)が28日、藤枝市の藤枝総合運動公園で今季限りの退団と現役引退を発表した。元日本代表のプレーイングマネジャーは、大きな目標だった来季J3参入に導くとともに、在籍年数が5年と一つの区切りを迎えたことで新たな挑戦を決断。クラブの取締役も退き、指導者として他チームのオファーを待つ意向を示し、小山淳代表(37)も本人の意思を尊重した。後任監督は未定。

 笑顔の旅立ち宣言だった。

 「MYFCも新たなスタートを切ることですし、お互いに新たなチャレンジをする時期だと思いました。自分も、指導者として新たな道を歩んで行こうと決断しました」

 09年に加入会見を行った会場で斉藤兼任監督は、チームそして18年間のプロ選手としての生活に別れを告げる決断を表明。現役としては9月7日の天皇杯2回戦(アイスタ)で古巣・清水相手に先発して後半39分までプレーしたことで踏ん切りがついたといい「(清水を退団した)7年前に引退してもおかしくなかったのに40歳まで現役を続けられたのは、いろいろな人の支えのおかげ。何もないところからクラブをつくり上げてきた小山代表には本当に感謝しています」。晴れやかな表情で、周囲への感謝の思いを強調した。

 当初はJ3参入の来季も監督を託す構想を固めていた小山代表も「お互いのクラブ愛に基づいてのもの」と理解。斉藤兼任監督の背番号2を永久欠番とするとともに、退団&引退記念セレモニー開催を検討していく意向も示し「これからは日本サッカーの発展に向けての同志として、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)していきたい」と快く送り出すことを決めた。

 清水の初タイトルに貢献した99年9月25日、V川崎(現東京V)とのナビスコ杯決勝(国立)などとともに、試合翌日に発熱した09年5月17日の藤枝での公式戦初戦(県社会人1部・本田浜松戦、富士川河川敷)を思い出に残る試合に挙げた斉藤兼任監督。「MYFCでの5年間はあっという間。プロとしての生きざまも学んだここで得た経験、自信、勲章を今後に生かしていきたいです」と国内トップレベルの指導者を目指す。

 将来の日本代表監督の夢も抱き、監督、コーチの肩書を問わず次のチャンスを待つ。

 ◆斉藤 俊秀(さいとう・としひで)1973年(昭48)4月20日、清水市(現静岡市清水区)生まれの40歳。有度一小、清水七中、清水東高、早大と進み、高校時代に全国総体優勝、大学ではユニバーシアード優勝。96年に清水入り。同年のJリーグ新人王、ナビスコ杯ニューヒーロー賞、99年のベストイレブン受賞などJ1(リーグ戦)通算244試合出場16得点。07、08年には湘南でJ2(同)84試合4得点。09年に藤枝MYFC加入。日本代表として国際Aマッチ17試合出場。1メートル82、75キロ。

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2013年11月29日のニュース