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「ゴン節」全開 引退会見なのに「復帰したい」 最後も“らしく”笑顔

[ 2012年12月5日 06:00 ]

会見で笑顔を見せる中山

 「ゴン」の愛称で親しまれた札幌の元日本代表FW中山雅史(45)が4日、札幌市内のホテルで引退会見を行った。J1通算得点は歴代最多の157。98年W杯フランス大会のジャマイカ戦では日本人大会初ゴールを決めた希代のストライカーも、両膝の痛みには勝てなかった。しかし、会見では引退の2文字は口にせず、復帰もあるなどと発言。独特の言い回しで現役に未練を残すなど「ゴン節」全開だった。

 すがすがしく、そしてはっきりと決意を述べた。会見場を埋め尽くしたテレビカメラ16台、報道陣は89人。その前でゴンは深々と頭を下げて4秒間静止し、口を開いた。

 「本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。中山雅史は今季限りで第一線を退くことを決めました。長い間ありがとうございました」

 苦渋の決断だった。10年11月に両膝を手術し、苦しいリハビリ生活が続いた。昨年末には歩くのもままならない状態となり、今秋には一度引退を決断し、会見場のホテルまで決めた。しかし、現役続行の思いを捨てきれず、自身のJ最終戦となった11月24日の横浜戦で3分間の出場にこぎつけた。自らの持つJ1最年長出場記録は更新(45歳2カ月1日)したが、それが最後の晴れ舞台となった。

 泥くさいゴールは天下一品。決してテクニックに秀でていたわけではないが、愚直にゴールを目指した。93年のW杯米国大会アジア最終予選ではドーハの悲劇を経験。ロスタイムに同点に追いつかれ、出場を逃したその瞬間にベンチで顔を覆って倒れ込んだ。98年W杯フランス大会のジャマイカ戦では、記念すべき日本のW杯初得点。その後は足を骨折しながらゴールを目指した姿も、語り草となった。

 涙なしのゴンワールド全開だった。会見では盟友である横浜FCのFW三浦知良のフットサル挑戦に刺激を受けたと明かし「この会見が終わり次第、次(復帰)の会見を開きたい」と爆弾発言。最後まで「引退」の2文字は口にせず「リハビリを続けて進化すれば復帰したい」と語ると最後には「まだ未練たらたらです」と苦笑した。

 今後は、シーズン中も定期的に通った静岡県の専門医の下でリハビリを続け、指導者資格の取得を目指す。「サッカーが日本の文化になってほしいし、みんなもっと愛してほしい。そのために関わっていきたい」。全力で駆け抜けた現役生活にはピリオドを打ったが、第二の人生での完全燃焼を誓った。

 ◆中山 雅史(なかやま・まさし)1967年(昭42)9月23日、静岡県生まれの45歳。藤枝東から筑波大を経て90年ヤマハ発動機(現磐田)入り。10年から札幌。98年に最優秀選手賞、98、00年に得点王を受賞。ベストイレブンも4度受賞。J1通算355試合157得点。90年に日本代表デビューし、98年W杯フランス大会、02年W杯日韓大会出場。国際Aマッチ通算53試合21得点。1メートル78、72キロ。

 ≪ゴン父「よく頑張った」≫中山の父・儀助(ぎすけ)さん(80)は4日、「長いこと一線でよく頑張ったと思う」とねぎらった。中山選手から事前に相談はなく、ニュースで引退表明を知ったという。「本人が考えて決めたこと。自分の息子とはいえ、いい大人なので、あらためて掛けるほどの言葉はないが、顔を見て話したい」と述べた。

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2012年12月5日のニュース