G大阪20年目で初の屈辱…遠藤、降格決定も「残る」

[ 2012年12月2日 06:00 ]

<磐田・G大阪>降格決定にぼう然とするG大阪イレブン

J1最終節 G大阪1-2磐田

(12月2日 ヤマハ)
 最終節9試合が行われ、4チームにJ2降格の可能性があった残留争いは、G大阪がアウェーで磐田に1―2と敗れ初の降格。ホームで広島に負けた神戸も05年以来、7年ぶり2度目の降格となった。ホームで川崎Fと引き分けたC大阪は14位、札幌に快勝した新潟は15位でシーズンを終えた。まさかの降格となったG大阪は、中心選手であるMF遠藤保仁(32)が残留を明言し、1年での復帰を目指す。

 Jリーグ開幕から20年、西の名門が落日の時を迎えた。午後5時23分、試合終了を告げる無情のホイッスルが鳴ると、G大阪の選手は天を仰ぎ、膝から崩れ落ちた。

 勝利が絶対条件の大一番も開始5分に前田の先制ゴールを許した。刻々と時間が経過する中で後半8分に倉田が個人技で持ち込んで同点。この時点で神戸を抜き、もう1点加えれば新潟、C大阪も抜いて一気に残留のチャンスもあった。同36分には遠藤が頭で勝ち越し弾!を決めたかに見えたが惜しくもオフサイド。その4分後。自陣ゴールに磐田の小林裕の勝ち越し弾がさく裂した。

 サポーターの涙と悲鳴が会場を包む。重苦しい雰囲気の中、家長は「1年を集約する試合」と肩を落とした。奮闘を続けた遠藤は「悔しさと責任を感じる。やらなければいけない場面でやられることが多かった。全員の責任」。同点弾の倉田は「ガンバが弱かった。それだけ。恥ずかしい」と下を向き、今季から加入した今野も「残念という言葉しか出てこない。こういう結果になり申し訳ない。力が足りないということ」と言葉を振り絞った。

 昨年まで10年間指揮を執り、攻撃的スタイルで常勝軍団に導いた西野朗監督を一方的に退任させた。新監督は二転三転したまま開幕し、いきなり公式戦5連敗。3月26日に松波コーチを監督に昇格させて勝負を懸けたが、引き分けが11試合を数えるなど勝負弱さを露呈した。

 来季は、初めて経験するJ2での戦いが待つ。去就が注目される遠藤は「契約が14年まで残っているので(来季も)残りますよ」と残留を明言。「成長したい気持ちがあれば、どこでも成長できる。僕が中心となって、やらなければ、と思います」と決意をのぞかせた。今野も残留の方向で、J1並みの戦力で巻き返しを図る第2章はもう幕を開けた。遠藤は「とにかくタイトルを獲りたい。さらに強いガンバを見せていければいい」と自身に言い聞かせた。

 ▽ガンバ大阪 前身は1980年に創部され、奈良県社会人2部に加盟した松下電器産業サッカー部。85年にJSL1部に昇格し、90年には天皇杯を制覇した。92年にパナソニックガンバ大阪に名称を変更。93年のJリーグ発足から加盟し、96年に「ガンバ大阪」に改称した。リーグ(05年)、天皇杯(08、09年)、ナビスコ杯(07年)の国内タイトル全てを獲得し、08年にはACLを制覇。GAMBAはイタリア語で「脚」を意味し、「頑張る」を連想させる。ホームタウンは吹田市、茨木市、高槻市、豊中市の大阪府内4市で、ホームスタジアムは吹田市の万博記念競技場。チームカラーは青と黒。

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