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松田さん追悼試合 親友の安永氏「直樹が降りてきた」

[ 2012年1月23日 06:00 ]

<横浜OB・直樹フレンズ>ゴールへ攻め上がる中田氏(右から2人目)。左端は三浦知

松田直樹追悼試合 横浜OB1―0直樹フレンズ

(1月22日 日産ス)
 昨年8月4日に急性心筋梗塞のため、34歳の若さで死去した元日本代表DF松田直樹さんの追悼試合が22日、4万観衆で埋まった日産スタジアムで開催された。日本代表時代の同僚を中心とする「直樹フレンズ」と横浜OBが激突。FW三浦知良(44=J2横浜FC)、引退した中田英寿氏ら超豪華メンバーによる白熱プレーが、天国の松田さんにささげられた。

 “あっ、マツのいたずらだ”。そこにいた誰もがそう感じていた。昨年8月、急逝した松田さんの追悼試合にはカズ、中山、中田氏ら日本を代表する超豪華メンバーが集結した。松田さんがピッチに“帰ってきた”のは試合後だった。雲間から太陽の光が差し込み、スタジアムが幻想的な雰囲気に包まれた。そして、親友で追悼試合の発起人も務めた安永氏があいさつに立った時だった。

 「ザザーッ、ザザーッ」。突然、マイクの音声が乱れた。生前、闘志あふれるプレーが持ち味だった松田さんはイタズラ好きでも知られた。安永氏が「この辺をさまよってるのか、マツのイタズラです。こういうヤツなんすよ」と言葉を詰まらせた。中山も「ノイズがね。イタズラ好きな部分がそうさせたのか意味深だよねぇ」と話すと視線を天にさまよわせた。

 天国から松田さんを呼び寄せるにふさわしい白熱の追悼試合だった。前半34分、松田さんにとって憧れだったカズがバイシクルシュートを放つなど躍動すれば、親友の安永氏は美しいループシュートを決めた。その直後、横浜OBは松田さんが愛用していた黒のヘアバンドをつけ、人さし指を天にかざした。「マツが好きな得点シーン。鳥肌が立った」と横浜OBの水沼監督。そして安永氏は言った。「あの瞬間、直樹が降りてきた」と。

 02年W杯で日本代表を指揮したトルシエ監督も粋な采配を見せた。直樹フレンズの監督を務めたが、代名詞のフラット3は封印。「フラット3には直樹が不可欠。昔のイメージを台無しにしたくないので4バックにした。直樹へのいいオマージュになった」と話す。監督時代、血気盛んな松田さんと何度も衝突。W杯直前合宿ではホテルでケンカしてプールに落とされたこともある。それでも誰より松田さんを評価した1人だった。

 試合後、追悼試合に関わる選手、スタッフ全員が背番号3のTシャツを着て場内を1周。4万観衆からの松田コールは鳴りやまなかった。誰もが天国へ思いをはせ、ピッチ上に松田さんの存在を感じた1日。これからもマツの魂は生き続ける。

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