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就任1年目で偉業!朝岡監督、選手&指揮官で全国制覇

[ 2012年1月10日 06:00 ]

< 市船橋・四中工>優勝を決めてイレブンに胴上げされる市船橋・朝岡監督

全国高校サッカー選手権決勝 市船橋2―1四日市中央工

(1月9日 国立)
 市船橋・朝岡隆蔵監督(35)が国立の空に3度舞った。県大会で“お預け”にしていた胴上げが、大応援団の前で実現。「夢だと思った。こんなにうまくいっていいのか。大変なことをやり遂げた」。選手からもみくちゃにされる手荒い祝福を受けながら、幸せをかみしめた。

 選手で日本一、監督としても日本一。就任1年目で達成した偉業は、忘れることのできない苦い過去があったからこそ達成できた。市船橋が初優勝した94年度大会。朝岡監督は3年生としてメンバーに名を連ねていた。だが、準決勝直前に風邪でダウン。決勝は自宅のテレビ越しに仲間たちを応援。「ただただ放心状態だった」。歓喜する仲間を見ても素直に喜ぶことができなかった。

 それだけに、将来的には指導者として国立を目指すことを決意。日大卒業後は中学校の講師を経て、保健体育の教員免許を取得した。クラブチームなどで指導者としての経験を積み、31歳で母校・市船橋に戻ってきた。ただ、赴任直後のサッカーは「期待の5割くらいの空気感だった」。練習に緊張感はなく、伝統校ゆえの甘さがあった。そこで指導のモットーに掲げたのが「甘えや言い訳、逃げない選手を育てよう」。コーチ時代から選手の話を徹底的に聞き、納得がいくまで何度でも説明を繰り返した。選手起用にも迷いはない。決勝の大舞台でも延長後半から投入したMF宇都宮が決勝点をアシスト。信頼関係が生み出したゴールだった。

 監督として初めて挑んだ昨夏のインターハイは初戦敗退。この敗戦で若き指揮官が得たのは、市船橋の伝統である堅守速攻、セットプレーを極めていけばいいという確信だった。「選手権は優勝できる。チャンスはあると選手にいい聞かせてきた」。全国制覇は手の届かない存在の「夢」ではなく、かなえるための「夢」。選手とともにそれを見事に実現させた。

 ◆朝岡 隆蔵(あさおか・りゅうぞう)1976年(昭51)6月21日、千葉市生まれの35歳。5歳でサッカーを始める。市船橋では3年だった94年度の選手権で初優勝。日大では主将も務めた。08年に市船橋に赴任してコーチとなり、11年4月に監督就任。家族は夫人と2男1女。血液型AB。

 ◇市船橋 1957年に普通科と商業科で創立。83年に体育科を設置し、サッカー部が全国レベルの強豪になった。野球部や陸上部、バスケットボール部も全国大会の常連。主なOBはサッカー元日本代表の北嶋秀朗、プロ野球の小笠原孝、競泳五輪金メダリストの鈴木大地氏、お笑いコンビのペナルティら。所在地は千葉県船橋市。

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2012年1月10日のニュース