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横浜 無念の陥落…「3」を背に決意の一戦も完敗

[ 2011年8月7日 06:00 ]

<柏・横浜>試合前に、松田さんの背番号3のユニホームを着た横浜の選手たちがサポーターへのあいさつに向かう

J1第20節第1日 横浜0―2柏

(8月6日 柏)
 天国の松田さんに白星をささげることはできなかった。横浜は6日、アウェーで柏に0―2で敗れて、首位から陥落した。昨季まで16年間在籍したJFL松本山雅の元日本代表DF松田直樹さんが4日に急性心筋梗塞のため34歳で死去。悲しみの中、必死に戦ったが、6月18日のG大阪戦以来9試合ぶりの黒星を喫した。この日行われたJ1、J2の全試合で試合前に黙とうがささげられ、全選手が喪章を巻いてプレーした。

 試合終了の笛が響くと、死力を尽くした選手たちは次々とピッチに崩れ落ちた。松田さんが天国に旅立ってから2日後に行われた柏との首位攻防戦に0―2完敗。後半44分に途中交代してベンチで敗戦を見守った中村は「マツさんに“ダセぇ”とか“弱い”とか言われそう」と唇をかんだ。

 試合前には全選手が、松田さんが横浜時代に背負い、永久欠番にする方向で調整中の背番号3のユニホームを着てウオームアップ。誰もが特別な思いでピッチに立ったが、気合が空回りした。前半8分にパスミスからゴールを許すと、後半21分にはカウンターから失点。後半35分の中村の直接FKが右ポストに嫌われ、ロスタイムには大黒がネットを揺らしたがオフサイドの判定。運にも見放され、6月18日のG大阪戦以来、9試合ぶりの黒星を喫した。

 心身ともに試合を戦う状態ではなかった。2日午前に松田さんが松本市内の病院に搬送されると、多くの選手が横浜から往復約8時間かけて病院に駆けつけた。中村は2日、4日と2度にわたって松本へ。兄貴分のことを考えると夜も眠れず、憔悴(しょうすい)しきっていた。4日夜にはかつて横浜に在籍した城彰二氏(スポニチ本紙評論家)、安永聡太郎氏(解説者)とともに、松本市内にある松田さんのマンションを訪問。壁には「努力」と書かれた紙が張られており、中村は「マツさんらしいなと思った。マツさんのように最後まで諦めない姿勢を持って戦ったけど…」と声を絞り出した。

 8日に桐生市内で営まれる通夜には全選手が参列予定。首位から陥落したが、下を向くことは松田さんが一番、嫌うことだった。中村は松田さんと一緒に食事した際に「年下で尊敬できるのはこいつだけなんだよ」と知人に紹介されたことがあり「これからも尊敬されるように頑張りたい。リーグ戦が終わった時にマツさんに良い報告ができるように頑張ります」と前を向いた。リーグ戦は残り14試合。必ず首位の座を奪い返して7季ぶりの優勝を成し遂げ、天国に最高の報告を届けてみせる。

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