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敏京、あと1打届かず…4位「悔しさより満足の方が大きい」

[ 2016年8月22日 05:30 ]

ギャラリーの声援に応える野村

リオデジャネイロ五輪ゴルフ・女子最終日

(8月20日 オリンピック・ゴルフコース=6245ヤード、パー71)
 メダルには1打届かなかった。112年ぶりに復活した競技で、15位から出た野村敏京(23=フリー)が6バーディー、ボギーなしの65をマークし、通算9アンダー、275で4位に入った。大山志保(39=大和ハウス工業)は2バーディー、3ボギー、1ダブルボギーの74で回り、通算8オーバーの42位。66をマークした朴仁妃(パクインビ、28=韓国)が通算16アンダーで優勝した。5打差の2位がリディア・コ(19=ニュージーランド)、3位はフォン・シャンシャン(27=中国)だった。

 あと1打及ばなかった。野村は通算9アンダーでホールアウトした時点で3位と健闘したが、後続に抜かれて4位。「(9アンダーでは)足りないかなとは思っていた。もしチャンスが来たら銅メダルかなとは思ったけど。もったいないですね」。振り返れば、初日の30センチのパーパットを不注意で外したのが痛かった。それでも、メダル争いに絡み「私は今週頑張った。悔しさより満足の方が大きい」と充実感に浸った。

 スタート時点では3位まで6打差。わずかな可能性を追って「全部狙っていった」と果敢に攻めた。3番で3メートル、8、11番ではいずれも2・5メートルのチャンスを沈めた。15、18番はグリーンそばからのアプローチを1メートルに寄せてスコアを伸ばし、オフに力を入れて練習した小技が大舞台でも生きた。一方でアイアンショットの精度で上位と差が出た。野村の最終ラウンドのパーオン率は68・06%。金の朴仁妃、銅のフォン・シャンシャンが79・17%、銀のコが81・94%だった。3日目と最終日の午前は強い風が吹いたが、悪条件でもグリーンを捉える正確なショットが課題として残った。

 日本人の父と韓国人の母を持ち、10歳でゴルフを始めた。普段は野村の試合に同行する母・昭英(ソヨン)さんは「ジュニアの頃から下手でも“全部の試合で優勝する”と言っていた」と話す。幼い頃から育まれた負けず嫌い。プロになってからも、スタッフとじゃんけんで負けたらコーヒーをごちそうするルールで負けた時に本気で怒りだし、周囲を驚かせたこともある。

 だから米ツアーでも毎週のように優勝を宣言し、今季は初優勝を含む2勝を挙げた。もちろん五輪での金メダルも公言。昭英さんは「五輪は一生に一度出られるか出られないかの舞台。彼女は本気で金メダルを狙っている」と語っていたが、夢はかなわなかった。

 野村は初めての五輪を「出て良かった」と総括する一方、「普通の試合なら4位でも賞金がもらえるし、トップ5に入ったらうれしい。でも、五輪は3位までしかメダルが獲れない。そのプレッシャーはあった」と独特の重圧も明かした。激闘を終えた23歳は「次の五輪も出たい」と語った。負けず嫌いは、27歳で迎える東京五輪で今度こそメダルを獲りにいく。

 ▼五輪ゴルフ競技対策本部倉本昌弘強化委員長 (野村4位に)残念なような、ホッとしたような気持ちです。メダルには届かなかったが、見事に入賞してくれました。(国内シニアツアー、ファンケル・クラシック会場で。自身は最終日は体調不良で棄権)

 ◆野村 敏京(のむら・はるきょう) 1992年(平4)11月25日、横浜市生まれの23歳。父は日本人で母は韓国人。5歳まで横浜市で育ち、その後、ソウル明知高卒業まで韓国で暮らした。10歳でゴルフを始め、07年日本ジュニア選手権12~14歳の部優勝。10年12月に日本国籍を選択。同年に米ツアーの予選会を受験し40位。11年に米国でプロ転向。同年5月に日本ツアーの中京テレビ・ブリヂストン・レディースで優勝。米ツアーは今年2月のISPSハンダ女子オーストラリア・オープンで初優勝。4月に2勝目。1メートル66、60キロ。

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