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第2走者・飯塚 無我夢中で爆走「バトンがどうこう覚えていない」

[ 2016年8月21日 05:30 ]

第1走者・山県(右)から第2走者・飯塚(左)へのバトン

リオデジャネイロ五輪陸上・男子400mリレー決勝

(8月19日)
 どうやってつないだのか、覚えていない。猛烈なスピードで迫ってくる山県を視界に捉えると、飯塚は力強くトラックを蹴り、そしてバトンを確かに握った。

 「山県が渡してくれると信じて、もう思い切って出た。バトンがどうこうって覚えていない」。記憶にあるのは、夢舞台の大歓声。「興奮した。歓声が思ったより凄くて、アドレナリンが出た」と殊勲の汗を拭った。

 200メートルは日本歴代2位の20秒11の記録を持つが100メートルの自己ベストは4人の中では最も遅い10秒22。だが、加速走となるリレーでは他のメンバーに劣らない爆発力を秘める。決勝のバックストレート。11年世界選手権男子100メートル金メダリストで9秒69の記録を持つブレーク(ジャマイカ)、リオの同種目で銀メダルを獲得したガトリン(米国)と同走したが、引けを取らない走りを見せた。

 10年世界ジュニア選手権の200メートルを制した“和製ボルト”は、山県とともに12年ロンドン五輪に出場。400メートルリレーは5位で2大会連続のメダルには届かなかった。レース後、結果を示す電光掲示板を見上げながら、2人は誓った。「もう一回、この舞台に戻ってこよう」。あれから4年。決勝進出を狙った200メートルは予選落ちを喫したが、「うまく走ろうとしすぎた」と原因を分析。この日は「気持ちを入れた」とテンションを高め、激走につなげた。

 あまり器用ではなく、希望の走順はバトンを受けるだけのアンカーだった。「もらうだけの方が楽なんで」。目立つことが大好きで、08年北京五輪の朝原宣治と同様、フィニッシュ後にバトンを夜空に放り投げるイメージもつくっていた。だが、チーム事情もあり第2走者を任された。「信頼が置けるメンバーで、ミスするってことは一切、考えなかった」。チーム最年長の25歳から、最年少の20歳・桐生へ信頼のバトンがつながった。

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