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【メダリストは見た】谷亮子 伊調馨は達人の域 東京五輪は“運命”

[ 2016年8月19日 12:00 ]

<リオ五輪 レスリング> 初戦を突破した伊調

リオデジャネイロ五輪レスリング・フリースタイル女子58kg級

(8月17日 カリオカアリーナ)
 レスリング女子58キロ級で女子史上初の五輪4連覇を達成した。柔道女子48キロ級で五輪5大会連続出場を果たし、連覇を含めて金2、銀2、銅1を獲得した谷亮子さん(40)はその歴史的瞬間をどう捉えたのか。勝ち続けることの凄さと難しさを熟知した達人が、格闘技界に燦(さん)然と輝く伊調の偉業について考察した。

 女子レスリングの皆さん、凄い!そして伊調選手、女子初の五輪4連覇、本物の偉業だと思います。素晴らしい。ポイントを奪われるシーン、私は初めて見る気がしましたけど、そこで闘志に火がついたように見えました。試合中にギアを切り替えられる選手って、本当に強いんです。僅差の試合もあったんですが、世界とはまだまだ差があるように感じました。

 私はアスリートを足の先から頭のてっぺんまでじっくり観察するんです。伊調選手だけじゃなく登坂選手も土性選手も格闘技向きのどっしりした、いい体つきをしていました。「あっ、これは他の国の選手とは違う」と思いましたね。逆転勝ちが多くてハラハラした人も多かったと思いますが、私は一度もドキドキしませんでした。「いつ仕掛けるだろう?」と決断の時を待っていました。

 伊調選手の「もっといいレスリングをしたかった」という言葉が心に響きました。勝ちたいとか、金メダルを獲りたいとかを超えた境地。言い換えれば「自分の試合をすれば負けない」という自信だと思います。五輪金メダリストというレベルを超えて、もはや達人の域だな、と感じました。

 初めて伊調選手とお会いしたのは、アテネ五輪の選手村だったと思います。競技初日に金メダルを獲得した私の部屋を、女子レスリング4選手が訪ねてきてくれました。「金メダル、見せてください」と言われて、一緒に写真も撮りました。アテネは女子レスリングが正式種目となった大会。初々しい印象でした。試合では伊調選手も吉田選手も金メダルを獲得し、4選手とも表彰台に上がったと聞いて「彼女たちも頑張ったんだな」と思ったことを覚えています。

 それからもう12年ですか。今年に入って海外の試合で伊調選手が負けたと話題になりましたが、実際に戦って負けたのは03年以来と聞いて、無敗を継続するということは大変だっただろうな、と。13年もの間、誰にも負けないということは、格闘技ではなかなかできることではないと思うからです。

 勝つ、ということは確かに大変なことです。しかし、勝ち続けるということの難しさは、ちょっと次元が違います。私の経験から言えば、世界選手権の決勝で勝った技は、翌年の五輪では通用しません。同様に五輪で勝つ時に使った技は、その次の世界選手権では使えません。なぜなら、世界中に研究され、対策を練られるからです。例えば五輪に勝って、次の世界選手権は負けてもいい、であれば話は違います。勝ち続けるということは「強さを保つ」のではなく「常に進化し続ける」ということです。戦いの場でとっさに開ける引き出しを増やし続けるということなんです。

 例えば今年、伊調選手に勝ったモンゴルの選手(プレブドルジ)。女王に勝ったことで自信はつけたでしょう。でも、同時に世界からマークされ、研究され始める。この大会では2敗し、銅メダルにも届きませんでした。これが、格闘技の世界の現実です。

 もう一つ、私が伊調選手や吉田選手について「凄い」と感じているのは、誰も到達したことがない道のりを進んでいる、ということです。それは世界選手権の連覇記録であり、女性アスリートとして初の五輪4連覇に挑んだことでもあります。

 私も世界選手権を6連覇(出場機会7大会連続優勝)したんですが、3連覇まではそれほど苦しさを感じませんでした。カレン・ブリッグス選手(英国)がすでに3連覇を達成する道のりを歩んでいたからです。誰かが達成した偉業は、その誰かの歩んだ道をじっくり観察して、どのように達成したかを知って、チャレンジできる。練習や心構えなど、学べることがたくさんありますから。だけど、誰も達成したことがない目標への道は、自分で開いていくしかないんです。そこに必要なエネルギーは、言葉では表せないほどなんです。

 初めての五輪出場は女子柔道が正式種目となった92年バルセロナ。93年の世界選手権で初めて世界一になってから、常に世界のレベルが上がっていくことを肌で感じていました。女子レスリングも五輪初採用から12年たち、世界のレベルがぐんぐん上がっていると思います。その潮流の中で女王の座を守り続けたこと、素晴らしい。そしてまだ、世界は日本のレベルに追いついていないことを証明してみせたこと。これも本当に素晴らしい。日本中で「私も金メダルを」と思い始める子供たちが出てくれば、こんなに幸せなことはないと思います。

 今後、伊調選手が何を目指していくんでしょう。ひそかに、20年に東京で五輪が開催されるというのは運命ではないか、と思っています。私にとって最後の五輪だった北京のあと、もし東京だったら、競技を続けていたと思います。どういう決断であれ、次の発言、注目したいと思います。とりあえず、今はゆっくり休んでほしいですね。

 ▼伊調の五輪VTR

 ★04年アテネ五輪(63キロ) 初戦から大差をつけて勝ち上がると、決勝もマクマン(米国)を3―2で退けた。直前の48キロ級決勝で姉の千春が銀メダルに終わり、姉の悔しさも力に変えた。
 ★08年北京五輪(63キロ級) 前日に千春が銀メダルに終わったショックを振り払って連覇。決勝では第1ピリオドで右膝を負傷もカルタショワ(ロシア)を2―0で下した。
 ★12年ロンドン五輪(63キロ級) 現地入り後の初練習で左足首じん帯を一部断裂。アクシデントをものともせず、1ピリオドも失わずに決勝も景瑞雪(中国)を圧倒して日本2人目の3連覇。

 ◆谷 亮子(たに・りょうこ)旧姓・田村。1975年(昭50)9月6日、福岡県福岡市生まれの40歳。城香中3年時の90年、福岡国際女子柔道48キロ級で優勝し「YAWARAちゃん」の愛称で人気者に。世界選手権は93~03年まで6連覇。出産後の07年も優勝。五輪は92年バルセロナから5大会連続出場。00年シドニー、04年アテネ連覇。03年にプロ野球元オリックスの谷佳知氏と結婚。10年から参院議員を1期務めた。

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