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山部 銅メダル「逃げ出すわけにはいかない」最後の最後まで気迫

[ 2016年8月14日 05:30 ]

リオ五輪<柔道・女子78キロ超 3位決定戦>銅メダルを獲得した山部(右)

リオデジャネイロ五輪柔道・女子78キロ級 3位決定戦

(8月12日)
 3位決定戦を前に、薪谷翠コーチはこれまでと違う山部の姿を見ていた。いつもなら試合に負けると「もうヤダ」とふてくされた雰囲気になるもの。それがこの日は「いくぞ!」という気迫を最後まで残していた。

 「4年間つらいことをしてきたのに逃げ出すわけにはいかない」。準決勝で敗れた山部はそう気持ちを切り替えていた。「気持ちが弱い弱いと言われてきて、そこが本人が成長した部分だと思う」。金メダルを逃した悔しさと教え子の成長への喜び。試合後の薪谷コーチは両方がないまぜとなって感極まった。

 いつも柔道から逃げようとしてきたのが山部だった。「中学でやめる、高校でやめる、大学でやめると思っていた」。旭川大高3年の時もインターハイで負けると「もうやめた!やめるから」と両親に告げた。大学に進むつもりもなく、もちろん世界を目指す気などなかった。しかし高校の恩師の説得で山梨学院大に進み、13年にミキハウスに入社すると「おまえならできる」と信じてくれる薪谷コーチの下で、二人三脚の歩みが始まった。

 出稽古も遠征も一緒。当初は別の場所に住んでいたが今は都内で家も4軒隣でほぼ同居状態だ。食事は薪谷コーチにほぼ任せきり。母・苗美さんが山部の家に行くと料理をしないことを示すようにコンロの上にはビーチサンダルが乗っていたという。田知本愛(ALSOK)との激しい代表争いを制し、薪谷コーチが現役時代に届かなかった五輪の舞台に2人でたどり着いた。

 ロンドン五輪優勝のオルティスとの準決勝。残り50秒で指導の数で追いつくと、山部は「投げにいこう」と自分から攻めた。しかし、奥襟を狙って接近しすぎたところを浮き腰で有効を奪われた。「前襟なら結果は変わっていた。一瞬の判断ミス。悔いが残る。(銅メダルは)うれしいけど、ほろ苦い思い出」。相手に合わせる柔道の多かった山部が大舞台で勇気を見せた。「逃げずにやってきてよかった。諦めないで支えてくれた薪谷コーチにメダルを贈れてよかった」。ともに歩んだ4年間。最後に残ったのは銅メダルと深い感謝の思いだった。

 ◆山部 佳苗(やまべ・かなえ)1990年(平2)9月22日、札幌市生まれの25歳。刑務官の父の影響で、4歳の時に厚別区体育館柔道クラブで柔道を始める。札幌市東栄中―旭川大高―山梨学院大。13年からミキハウスに所属。主な成績は15年世界選手権(アスタナ)3位、16年グランドスラム(GS)バクー優勝など。得意は払い腰。1メートル72。

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