三宅宏実「奇跡」の銅!深刻腰痛に耐えバーベルに“ありがとう”

[ 2016年8月8日 05:30 ]

ジャークで107キロに成功しバーベルを抱きしめる三宅

リオデジャネイロ五輪第2日・重量挙げ女子48キロ級

(8月6日)
 女子48キロ級で三宅宏実(30=いちご)が、奇跡の銅メダルを獲得した。81キロを挙げたスナッチ終了時点で8位だったが、ジャークで107キロをマークして合計188キロの3位。深刻な腰痛を抱える中、銀メダルだった12年ロンドン五輪に続いて表彰台に上がった。重量挙げの日本女子では初めて複数のメダルを手に入れ、68年メキシコシティー五輪銅メダルの父・義行監督(70)も超えた。

 真摯(しんし)に流してきた汗と、人知れずこぼした涙がミラクルを呼ぶ。深刻な腰痛を抱える三宅はスナッチで81キロに2度失敗。後がない3回目、尻がつく寸前でこらえ、笑みを浮かべながらゆっくりと立ち上がった。「正直、私の夏は終わったと思った。最後は無心。あれ、奇跡ですよ」。記録なしの大ピンチを乗り切り、スナッチ8位からジャークで大逆転の銅メダル。バーベルを優しく撫で、いとおしそうに抱いた。

 「最後まで諦めず、自分を信じてできた。素直にうれしい。バーベルをハグして“ありがとう”って言うのが夢の一つだった」

 弱い自分と闘い続けた約5カ月だった。3月に腰と左膝を痛め、53キロ級で出場した5月の全日本は4位。「人生でこんな試合は初めて…」。三宅は豊富な練習量で自信を積み上げるタイプ。満足にトレーニングができなくなると、「引きこもってしまう」と明かす。口数は減り、自問自答を繰り返す日々。リオ入り後、腰痛は痛み止めのブロック注射を必要とするほどに悪化する。競技2日前、たまらず母・育代さん(66)にメッセージを送った。

 「お母さん、私ボロボロなんだよ」

 これまで周囲の期待に応えようと奮闘してきたが、リオだけは自分のために闘うと決めた。この日はドクターからもらった座薬を忘れるほど集中。ジャークの最終3回目に107キロを挙げると「やったぁ」とつぶやいた。父の義行監督が小躍りする姿が目に入る。現地に駆けつけた母らの声援も耳に届いた。「みんなが手伝ってくれたのかな」。改めて気づかされた。1人で獲ったメダルではない、と。

 20年東京五輪について、試合直後は「五輪は素晴らしい舞台だけど、4年は長い」としたが、一夜明けた7日、メダリスト会見で「凄く魅力的で出たい気持ちもある」と意欲を示した。初めてバーベルに触れてから16年。銀メダルだったロンドン五輪より順位は下がったが、30歳は万感リフトに胸を張る。「前回とは年齢が違うので、重みが全然違う。色は銅でも、一番うれしい」。胸に光るメダルは、ゴールドに劣らない輝きを放っていた。

 ▽重量挙げの競技方法 男女で体重別の階級ごとに実施。種目は地面に置かれたバーベルを一気に頭上にまで持ち上げる「スナッチ」と、同じくバーベルを一度、肩まで上げる動作を経て、両足の曲げ伸ばしを利用して一気に持ち上げる「クリーン&ジャーク」の2つ。それぞれ3回ずつの試技を行い各種目の最高重量記録の合計で順位が決まる。

 ◆三宅 宏実(みやけ・ひろみ)1985年(昭60)11月18日生まれ、埼玉県新座市出身の30歳。新座市立二中時代は軟式テニスに熱中していたが、シドニー五輪の重量挙げを見て感動して中学3年から始めた。埼玉栄高3年の03年に53キロ級で全日本選手権初優勝。04年法大に進学し、48キロ級に転向。同年アテネ五輪9位、08年北京五輪6位。12年ロンドン五輪では銀メダル。指導を受ける父の義行氏は68年メキシコ五輪銅メダリスト。1メートル46。

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