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リオ五輪代表MF矢島、生後1カ月から「ボールは友達」

[ 2016年7月28日 11:10 ]

1歳の矢島。多くのボールに触れながら育った

リオ五輪日本代表戦士の分岐点

 94年1月18日。男児誕生の知らせを受けたリオ五輪日本代表MF矢島の父・弘之さん(52)は、翌日にJR浦和駅近くのスポーツ用品店である買い物をした。乳児用のおもちゃではなく大人用の5号球。これが慎也と名付けられた矢島の運命を決めた。「始めるなら少しでも早い方がいいと思いまして」。中学から大学まで競技を続け、今もサッカー好きの父は懐かしそうに振り返る。

 生後1カ月。実家のある春日部市内で出産を終えた母・まさ美さん(49)が矢島を連れ、現さいたま市内の当時の自宅に帰ってきた。父は布団に眠る息子の足を持ち、その5号球を使ってインサイドキックの動きを体に染みこませて“お守り”をした。息子が立てるようになると、5号球やおもちゃのボールを足元に転がして遊んだ。「慎也は訳も分からず、楽しそうだった」。テニスの軟式球、硬式球やフットサル球など多くのボールを買っては、家の中でドリブルやリフティングに明け暮れた。手倉森ジャパンでも定評のある正確なプレーの原点だった。

 矢島が壁にぶち当たる度、父は「どうすればいいか考えてごらん」と答えを与えなかった。2人で風呂に入り、水滴でくもった鏡に指でサッカーコートを描いた日々がある。試合のシーンを図解し、父は「あの時、パス出して、その次は何を考えていたの?」と問う。息子の考えに耳を傾け「こういう考え方もあるよ」と議論を重ねた。思考を止めない少年時代が豊富なアイデアと判断力をもたらした。その後、浦和のジュニアユースへ入団し、才能は開花した。

 1メートル71、67キロと平均的な日本人体形の矢島は身体能力に恵まれているわけでもない。だが、幼い頃に培った正確な技術と広い視野がある。「日本の普通の家族が生んだ選手です」と評する弘之さん。父と子の濃密な時間が実を結ぶ舞台は、目の前にある。

 ◆矢島 慎也(やじま・しんや)1994年(平6)1月18日生まれ、さいたま市出身の22歳。北浦和サッカー少年団から浦和ジュニアユース、ユースを経て、12年にトップチームに昇格。出場機会を求めて15年からJ2岡山に期限付き移籍中。手倉森ジャパン旗揚げの14年1月のU―22アジア選手権から選出され、今年1月のリオ五輪アジア最終予選では4試合2得点と活躍。リオ五輪では背番号は9をつける。1メートル71、67キロ。利き足は右。

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2016年7月28日のニュース