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羽生 たまたま始めたフィギュア、幼稚園時代から見せた片鱗 

[ 2014年2月16日 09:20 ]

演技を終える直前、感情を爆発させるように、羽生が叫ぶ。紆余(うよ)曲折を経た天才が世界の頂に立った

ソチ五輪フィギュアスケート男子

 SPで史上最高点を叩き出し、初出場の大舞台で鮮やかに勝ち切った羽生。短期間で驚くべき進化を果たし、頂点まで駆け上がった氷上のプリンスの成長のドラマを3回の連載で紹介する。

 羽生がスケートを始めたのは4歳の時だった。98年に長野五輪が行われ、冬季競技の注目度が高まり、フィギュアスケートもブームになっている頃だった。77年世界選手権銅メダリストの佐野稔氏が開いていた仙台市のスケート教室で、4歳年上の姉がレッスンを受けていた。「弓の弦(つる)を結ぶように凜(りん)とした生き方をしてほしい」という両親の願いを込めて名付けられた結弦は、姉を見てなんとなくスケート靴を履いた。「たまたま始めた感じですね」と羽生は振り返る。

 天賦の才は、早くからその片鱗(へんりん)を見せていた。幼稚園児にして小学生が跳ぶ1回転半ジャンプを習得。スケートを始めて2年足らずで、2回転サルコーまでこなす驚異的な成長を見せた。何度転んでも怖がらない、無鉄砲な性格が幸いした。

 最初に指導した山田真実コーチ(40)は、「自分の世界に入り込み、音楽を表現する不思議なスター性があった。でも全然言うことを聞かなかった」と苦笑いを交えて振り返る。レッスン中は言うことを聞かずに友達と騒いでばかりだったという。サボっては、両親から「やりたくないのならスケートをやめなさい」と怒られたこともある。

 小学2年の時に行われた、02年ソルトレークシティー五輪。ロシアのヤグディンとプルシェンコの激突を見て、夢舞台への憧れを抱いたが、五輪を意識して年齢を重ねるうちに、スランプに陥った。周りが次々と自分のものにしていく、3回転ジャンプが跳べない。「同期の中で僕が一番、3回転をきれいに跳ぶのが遅かった」。ノービス(10~14歳)の大会では、全く跳べずに号泣したこともある。

 ジャンプの天才は一転、劣等生に転落した。「みんな跳べてる。なんで僕だけ跳べないんだ!」。悔しくても、どうにもならなかった。「体の成長が遅くて、切れもなかった」。ジャンプの精度が増してきたのは、体が出来上がってきた小学5年の頃。小学校卒業までに3回転は全てマスター。小学校の卒業文集に書く将来の夢はもう、決まっていた。「五輪で金メダルを獲る」と。(特別取材班)

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2014年2月16日のニュース