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阪口、興奮ヘッド弾!五輪初ゴールでメダル決めた!

[ 2012年8月8日 06:00 ]

<フランス・日本>後半、ゴールを決める阪口

ロンドン五輪サッカー女子準決勝 日本2―1フランス

(8月6日 ロンドン)
 阪口はベンチで祈るしかなかった。相手の猛攻をしのいで試合終了。「めっちゃうれしい。試合中は無我夢中。終わって初めてメダルを獲れるんだと思った。きょう負けたら4年前と同じ。成長したかな」。準決勝の主役は興奮気味だった。

 1―0の後半4分に五輪初得点を決めた。宮間のFK。フリーで落下点に入り頭で右サイドネットへ。「あんなヘディング久しぶり。代表では点を取るポジションじゃないから」。昨年9月3日の五輪アジア最終予選韓国戦以来となるゴールは決勝点となった。

 だが、いいことばかりではない。後半33分にはペナルティーエリア内でルソメルを倒し痛恨のPKを許した。「いかなあかんと思って足を出した。申し訳ない」。ブサグリアがPKを外し、事なきを得て胸をなで下ろした。

 「小学校に上がるか、上がらないか」の頃、2歳上の兄・憂也さん(26)の影響で堺市の「下野池少年サッカースクール」でサッカーを始めた。当時からうまさは突出しており、指導した矢野真輔さん(41)は「この子は将来、日の丸を着ける選手になる」と思っていた。ただ「自分が、自分が」というタイプではなく「男の子でうまいと1人で攻めていってしまうが、夢穂はパスを選ぶ。それも、いい場所にいれば上手でない子にも分け隔てなくパスを出していた」という。

 控えめで照れ屋な女の子は順調にキャリアを重ねた。08年2月に18歳で代表デビューした当時はFWでいきなり2得点した。北京五輪後には所属のTASAKIが解散したが「サッカーをやめることは全く考えなかった」。翌09年に米国インディアナに移籍。練習中に左膝前十字じん帯断裂という重傷を負い、失意の帰国を余儀なくされた。

 苦難を経験しただけにW杯優勝後のフィーバーにも「ブームを終わらせないためにはロンドンで結果を出さないと」と冷静だった。金メダルへの挑戦は女子サッカーの未来のための戦いでもある。「一番いいメダルを獲りたい。勝って喜びを爆発させたい」。最大のライバル米国に全てをぶつける。

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