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内村、悲願かなわず…体操ニッポン無念の銀メダル

[ 2012年7月31日 06:00 ]

男子団体総合決勝で演技を終え、沈んだ表情の(手前から)田中佑、内村、加藤、田中和、山室

ロンドン五輪 体操男子団体総合決勝

 頂点には届かなかった。男子団体総合決勝で、04年アテネ五輪以来の金メダルを目指した日本は、合計271・952点で銀メダルに終わった。予選では精彩を欠いたエース・内村航平(23=コナミ)が奮闘したものの、山室光史(23=同)が跳馬で左足を痛めるアクシデントもあり、最大目標のV奪回はならず。内村は世界選手権3連覇中の個人総合(8月1日)で、日本勢28年ぶりの金メダルを狙う。

 一番欲しかった金メダルは遠かった。28日の予選で5位と精彩を欠いた体操ニッポンは決勝で懸命の演技を続けたものの、銀止まり。04年アテネ五輪以来のV奪回はならなかった。エースの内村ら、5人の日本代表は肩を落としてアリーナを後にした。

 内村は予選で、鉄棒とあん馬で落下。個人総合でも予選9位と、自らに課せられたエースの責任を果たせなかった。「五輪は何が起こるか分からないって実感した」。夢舞台の怖さを肌で知り、決勝に向けて心身のコンディションを整えた。この日は、序盤から本来の姿を取り戻した。1種目目のつり輪で重圧のかかる1番手を任されたが、着地をまとめてチームを勢いづけた。2種目目の跳馬も内村、加藤と無難に決めたが、山室が左足を痛め、着地に大失敗。16点台が期待される種目で14・033点にとどまり、頂点への道は険しくなった。

 団体の金メダル奪回は、体操ニッポンの悲願であり、内村の悲願でもあった。今大会、個人総合の金メダル獲得が確実視されているが、「団体のことしか考えていない」と繰り返し口にしてきた。04年アテネ五輪。当時、高校1年だった内村は、テレビで戴冠シーンを見て心を打たれた。だが、自身が日の丸を背負うようになってから、08年北京五輪、10、11年世界選手権と中国に完敗。頂点には届かなかった。

 特に東京開催だった昨年の世界選手権の悔しさは、胸に深く刻まれた。今年の元日、携帯電話の待ち受け画面を昨年の銀メダルの写真に変更。「いつでも思い出せる。見ると悔しかったなぁとか考えますね」。勝てば待ち受けは金メダルの写真にするつもりだったが、また悔しい思い出が一つ増えた。

 8月1日には、世界選手権3連覇中の個人総合に挑む。予選9位と振るわなかったが、絶対王者としての意地がある。団体で味わった悔しさもぶつけて、日本人28年ぶりの頂点を目指す。

 ◆最近3大会の男子団体総合

 ☆00年シドニー五輪 日本は4種目目の鉄棒を終えて2位につけたが、5種目目の床運動でミスが相次ぎ、4位に終わった。この大会では団体の他、個人総合、種目別でもメダルを獲得できなかった。

 ☆04年アテネ五輪 日本は最初の種目、床運動を終えた時点では7位と出遅れたが、その後は安定した演技を披露。最終種目の鉄棒で0・063点差だったルーマニアを逆転。最終演技者の冨田が見事な着地で“栄光の架け橋”を描き、28年ぶりに金メダルを獲得した。
 ☆08年北京五輪 自国開催で優勝した中国には大差をつけられたが、日本は銀メダルを獲得。5種目終了時点では3位だったが、最終種目の鉄棒で米国を逆転した。当時、19歳だった内村はあん馬、つり輪をのぞく4種目でほぼ完璧な演技を披露した。

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2012年7月31日のニュース