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海老沼銅メダル お粗末判定でリズム狂った

[ 2012年7月30日 06:00 ]

柔道男子66キロ級3位決定戦、見事な技で1本勝ちした海老沼

ロンドン五輪柔道男子66キロ級

 男子66キロ級の海老沼匡(22=パーク24)が準決勝で敗れたものの、3位決定戦でパベル・ザグロドニク(ポーランド)に一本勝ちし、銅メダルを獲得した。チョ・ジュンホ(韓国)と対戦した準々決勝では、延長後の旗判定がやり直しとなる前代未聞の事態に巻き込まれたが、表彰台を死守した。92年バルセロナ五輪金メダリストの吉田秀彦監督が率いるパーク24に入社1年目の22歳は、16年リオデジャネイロ五輪での雪辱の金メダルを約束した。

 館内の大歓声に応えることもなく、大の字になって天井を見つめた。3位決定戦。ザグロドニクを豪快な大腰で宙に舞わせ、一本勝ち。海老沼は直立不動で「金メダルじゃなきゃ意味がないんで。申し訳ない気持ちでいっぱいです」と言うと、いがぐり頭から流れ落ちる汗を、柔道着の左袖でぬぐい、目を閉じた。

 「きょうは何回もハプニングがあったけど、会場のお客さんが後押ししてくれた」。“誤審”トラブルは、チョ・ジュンホとの準々決勝だ。延長戦1分22秒に小内巻き込みで、一度は主審が「有効」をコール。しかし、試合場を管理する3人のジュリー団は“有効以下”と判断し、キャンセルした。ところが、その後の判定は、有効を宣したはずの審判全員がチョ・ジュンホの勝ちと判定。会場の大ブーイングで、再びジュリー団が判定を覆した前代未聞の事態となった。「試合内容は覚えてないけど、勝たせてもらったと思っている。だから優勝しなければいけなかった」。

 だが、その“運”を呼び込んだのは、海老沼の柔道に対する純粋な思いだった。兄2人について地元道場で柔道を始めたのは「おむつをしていた頃」。以降、ジュニアで活躍する2人の兄を追うように、打ち込んだ。ケガをして練習ができなければ泣き、兄弟げんかも自宅の和室で柔道。世田谷学園高2年時からは腰痛に苦しみ、不本意な成績も続いた。ブロック注射を打ち試合に出られると「こんなに幸せなことはない」と喜んだ。

 代表に決まった5月以降の合宿で、自らを追い込み過ぎ「技がかからないことがあって」落ち込んだ。付き人を務める長兄・聖さん(28)に事態を聞いた母・道子さん(52)の激励メールに、海老沼はこう返信した。「最後は努力した人間が報われると思います」。四段の父・時男さん(58)が作った柔道人形を兄弟の誰より最後まで投げ込んでいた5歳の時代と変わらない、まじめな男の開き直りだった。

 準々決勝で痛めた右肘の影響で、準決勝は一本負けをしたが、言い訳はしなかった。「自分の目標は五輪で金メダルを獲ることなので、次に向かってやっていきたい」。吉田監督に並ぶことも、昨夏に急逝した藤原敬生・明大前監督(享年52)との約束を果たすことも、まだできる。柔道を愛する22歳の挑戦は、ここからが本番となる。

 ▼全日本男子の篠原信一監督 今の制度の問題は、審判が決めたことを(ジュリーが)変えることだ。判定の時は(取り消された)海老沼の有効が、(以前あった)効果として残っていると考えていた。海老沼も韓国の選手もかわいそうだ。

 ▼00年シドニー五輪柔道100キロ超級「世紀の誤審」 日本の大黒柱・篠原信一(当時27)が決勝で宿敵のドイエ(フランス)と対戦。開始1分すぎに内股を透かして完全な一本を奪ったが、審判は逆に相手に有効を与えて、まさかの敗戦になった。山下泰裕男子監督らが猛抗議したが、裁定は覆らずに後味の悪い銀メダルとなってしまった。試合後にIJFのジム・コジマ審判理事(審判長)は「私も日本の言う通りだと思う。ただ、試合は3人の審判が裁くもの」と誤審を公式に認める発言をした。これをきっかけに柔道界でビデオ判定導入の議論が始まった。

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