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田畑「夢みたい」追い抜き娘惜し~い銀メダル

[ 2010年3月1日 06:00 ]

<パシュート女子決勝>日の丸を手に場内一周する(左から)穂積、田畑、高木、小平

 スピードスケート女子団体追い抜きで、日本は田畑真紀(35)、穂積雅子(23=ともにダイチ)、小平奈緒(23=相沢病院)の3人で臨み、銀メダルを獲得した。準決勝でポーランドに競り勝ち、決勝ではドイツに100分の2秒差で敗れて惜しくも金メダルを逃したが、スピードスケート女子五輪史上最高の2位。今大会スピードスケートとしては3個目、日本選手団としては5個目のメダルとなった。

 わずか靴一足分の差で、日本は金メダルに届かなかった。横一線に広がった日本と縦にばらけたドイツが、ほぼ同時にコースの対角にある、それぞれのゴールラインを通過。電光掲示版が示したタイムは日本の3分2秒84に対して、ドイツは3分2秒82。0秒02差…距離にして約25センチ。最後にゴールした穂積は「もう少し脚が長かったら…」と悔しさをあらわにした。
 メダルの色は金目前で銀になったが、女子では98年長野五輪女子500メートル銅の岡崎朋美以来のメダル。苦戦続きの中長距離陣にとっては悲願の表彰台だった。日の丸を掲げてのウイニングランを終えた田畑は「物凄く悔しかった。でも、それもすぐに消えました。やっぱりメダルが欲しかった。夢みたいです」と目を潤ませた。
 準決勝のポーランド戦に競り勝ち、メダル獲得を確定させて迎えた決勝戦。控室を出る前には橋本聖子団長とメンバー4人で円陣を組み、団長からは「死ぬ気で行って来い」とゲキを飛ばされた。穂積は出場メンバーから外れた高木の手袋をつけて出陣した。序盤はスピードのある日本がリード。残り2周で1秒72の差をつけた。しかし、徐々にペースダウンし、長距離の強豪選手をそろえるドイツにラスト1周で一気に逆転された。
 日本は前回のトリノ五輪では個人種目を優先し、五輪直前しか団体追い抜きの練習をしなかった。その結果、3位決定戦で大津が転倒して4位。メダルを逃した。当時の悔しさをメンバーの中で唯一知る田畑は「4年前は自分たちの力を出し切れずに終わった」と振り返る。その後の4年間は田畑がリーダーとしてチームをけん引。今季は夏から所属の枠を超えて3度の合同練習も実施した。
 「他の2人に勝つつもりでないと、速くなれない」。五輪を前にしたW杯で、田畑はスピードについて来られない若手選手を置き去りにして、先にゴールしたこともある。妥協を許さぬ厳しい姿勢で後輩たちを引っ張るのが田畑スタイル。今回、準決勝に勝ち、銀メダル以上が確定した時も「わざとうれしくない顔をしてました」と同じ寅(とら)年で12歳下の小平、穂積の気を引き締めた。
 「最近はメダルを欲しいと思うことはダメだと思っていたけれど、メダルが欲しくて、スケートを続けてきた。そう思うと直前の練習で、逆にぐっと集中できることが分かった。最後の五輪で原点に戻れた」
 富士急入社1年目の94年にリレハンメル五輪出場。長野五輪は2カ月前の練習中に左足首を骨折して出場を断念した。03年5月には富士急を辞めた羽田雅樹コーチを追って、自身も退社。その後1年間は所属もなく、貯金を切り崩して活動した。数々の苦難を乗り越えて迎えた4度目の大舞台で、ようやくメダルへの思いは通じた。
 「みんな世界のトップを争えるまで力をつけた。後輩たちにはこの自信を次につなげてほしい」。日本の中長距離も世界で戦える――田畑が最後の五輪で証明した信念は、また次の時代へと受け継がれていく。

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2010年3月1日のニュース