堀井師 馬主思い…出走回数にこだわり、諸外国のエッセンス導入も

[ 2022年2月9日 05:30 ]

2月末で引退する堀井雅広調教師
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 【さらば伯楽】騎手として22年、調教師として29年。競馬界で半世紀を過ごした堀井雅広師(70)。「運が良かった。恵まれていたと思う。理解のある馬主さんに恵まれて、(馬産地の)日高の人にも良くしてもらった。トラックマンや記者の方々に温かい目で見てもらったし、スタッフも努力して馬を仕上げてくれた。楽しい調教師人生です」と言う。

 京都の洛南高を卒業後、競馬界へ。73年、22歳の時に関東の宮沢今朝太郎厩舎所属で騎手になった。通算181勝。「騎手としてはしんどかったね。技術もさることながら、乗り馬にも恵まれなかった。騎手を育てるのは馬。名医を育てるのは患者。名教師は生徒が育てる。そして調教師は従業員が育てる、と思ってるんですよ」。94年に騎手引退。技術調教師を経て95年に美浦トレセンで開業した。

 最も印象に残るレースとして挙げたのはG1初制覇となった04年朝日杯FSマイネルレコルト。「後藤(浩輝)騎手が強気な競馬をしてくれて、安心して見ていられた。“あの馬”が出てなくて良かったよ」と笑った。あの馬とは同世代の3冠馬ディープインパクト。レコルトは皐月賞、ダービーも掲示板を確保。「(ディープが)いなかったら翌年もう一つくらい(G1を)勝てたかもしれないけど、いいライバルと戦えて幸せだった」と感慨深げに回顧した。

 堀井厩舎の特長は出走回数。「夢は一日全レースに管理馬を出走させる」。さすがにかなわなかったが「やっぱり馬主さんは自分の馬がレースに出るとうれしいじゃないですか」と説明。これはリーディングトレーナー矢作師の理念とも共通する点がある。

 競馬界を最も変化させた事象としてジャパンCの開催を挙げた。「馬のことを彼とか彼女とか言うようになったのはあれくらいから。海外の人がHeとかSheとか言ってたからだよ。あれで馬に対する接し方がだいぶ変わった。騎手や馬をアスリートとして見るようになったのも、あの辺りからじゃないかな」

 オーナーと共に米国の競走馬セールに出掛け、外国産馬を購入した先駆けの一人。短期免許で来日した外国人ジョッキーに積極的に騎乗依頼し、諸外国のエッセンスも取り入れた。また東西の垣根を越えて武豊をデビュー当初から重用。「僕も武さんも京都出身という縁もあったけど、当時は関東の厩舎が何で関西の騎手を起用するんだ!って言われたこともあった。今では当たり前なんだけどね」。競馬界にさまざまな新風を吹き込んだ調教師だった。

 ◇堀井 雅広(ほりい・まさひろ)1951年(昭26)12月4日生まれ、京都府出身の70歳。騎手としてJRA通算2755戦181勝。95年厩舎開業。調教師としてJRA通算7887戦は現役で藤沢和師、国枝師、森師に次ぐ4番目の多さ。434勝。

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