【1988年・函館記念】河内騎手 自信の追い込み生んだ名馬の記憶

[ 2020年7月17日 05:30 ]

河内師が自信を持って騎乗していたサッカーボーイ
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 【競馬人生劇場・平松さとし】1988年の函館記念は好メンバーがそろった。2頭のダービー馬、すなわちシリウスシンボリとメリーナイスがいた。桜花賞とオークスの牝馬2冠馬マックスビューティもいた。しかし、彼らを差し置いて単勝2.2倍の1番人気に支持されたのはサッカーボーイだった。

 同馬の手綱を取ったのは当時ジョッキーだった河内洋現調教師。これが4回目の騎乗。前々走の日本ダービーでも1番人気に推されたが15着に惨敗。しかし、前走では見事に追い込みを決めてコンビでは初めてとなる重賞制覇を飾っていた。後に河内調教師に当時の話を伺うと、次のように言っていた。

 「ダービーは状態もいまひとつの上に24頭立ての22番枠だったので参考外。でも直前のレースは先行勢が残る中、豪快に追い込んで皐月賞馬(ヤエノムテキ)をも楽々と差し切りました」

 このレースで手の内に入れたと続けた。

 「小細工は不要。少々外を回ることになっても気分良く走らせてあげればはじける馬だと分かりました」

 当然、函館記念でも同じ戦法で臨んだ。すると2着のメリーナイスに5馬身の差をつけて圧勝。返す刀で続くG1のマイルチャンピオンシップも2着に4馬身差をつけて優勝。当時の河内騎手は相当、自信を持っていたと言う。

 「他馬の騎乗依頼も来たけど“100%勝てる馬がいるから”と言って全てお断りしました」

 気性的には決して簡単な馬ではなかったと言うが、それでも自信を持てたのには、コンビで天皇賞を制したある一頭の名馬が関係していたと語った。

 「カツラノハイセイコは掛かったり、逆に行こうとしなかったり、真っすぐ走らないなど非常に難しい馬でした。でも何とかなだめながら走らせた経験が、サッカーボーイに生かされ、大レースを勝つことができました」

 一見、関係ないと思える点と点が意外な線でつながっているのが競馬の面白いところである。今年の函館記念には、どんな線があるのだろう…。 (フリーライター)

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2020年7月17日のニュース