【凱旋門賞】宮本師 惨敗も前向き「世界の壁を実感した」

[ 2018年10月8日 05:30 ]

 宮本師に涙はなかった。クリンチャーの懸命の走りをしっかりと見届け、馬が無事であることを確認した後、報道陣の前で胸を張った。「申し訳ありません。馬の状態は最高に良かったが世界の壁の厚さを痛感した」。前を向いてしっかりと語った。

 「フォワ賞の後、馬の状態は上がっていた。運動量を増やし悔いのない仕上げだった。パドックを見て、最高だと思った。凄い馬だと感謝した」。作戦は完全に武豊任せ。それでも「あんなレースをしてくれると思っていた。エネイブルをマークしてくれていた」。世界最強馬と併走する管理馬に道中、胸を熱くした。

 宮本師には忘れられない出来事がある。98年ドバイワールドC。担当馬のキョウトシチーとともに初めての海外遠征に挑んだ。今や日本調教馬も勝つことが珍しくなくなったドバイ国際競走だが、当時は創設3年目。海外の競馬に出走することは手探りの部分が多かった。

 上司である中尾謙太郎師は全てを任せてくれた。意気に感じ、さまざまな手配に奔走した。担当馬は無事に出走し6着。満足感があった。今回も、敗れたとはいえ、予定通りにフォワ賞を叩き、凱旋門賞のメンバーに名を連ねることができた。あの時、キョウトシチーが異国へと連れて行ってくれたから今回の“無事の出走”がある。宮本師はそう感じていた。

 「馬は大丈夫。大きな舞台を走れたことに感謝。日本のファンにまたクリンチャーの姿をお見せしたい」。次走は有馬記念を予定。パワーアップした姿を今度は中山で披露する。

 ◆宮本 博(みやもと・ひろし)1963年(昭38)3月27日生まれ、滋賀県出身の55歳。厩務員の家に生まれる。伯父・悳(いさお)は騎手として68年ダービーをタニノハローモアで制覇。早くから馬術に親しみ、京都産業大卒業後、栗東・中尾謙太郎厩舎入り。キョウトシチーなどを担当した後、03年調教師試験合格。04年開業。08年デグラーティアで小倉2歳Sを制し、重賞初制覇。JRA重賞は6勝。

続きを表示

2018年10月8日のニュース