【凱旋門賞】悲願ならず…クリンチャー17着 次走は有馬記念

[ 2018年10月8日 05:30 ]

凱旋門賞で17着と大敗したクリンチャー(撮影・岡田 修平)
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 世界最高峰のレース、「第97回凱旋門賞」は7日(日本時間同日深夜)、3年ぶりに改修を終えたパリロンシャン競馬場で行われ、今年の天皇賞・春3着で武豊(49)騎乗のクリンチャー(牡4=宮本)は19頭立ての17着に終わった。日本馬は延べ23頭目の参戦となったが、3年連続の2桁着順で、またも日本馬初制覇はならなかった。クリンチャーの次走は有馬記念(12月23日、中山)となる予定。優勝はランフランコ・デットーリ(47)騎乗のエネイブル(牝4=英ゴスデン)で、史上7頭目の連覇を達成した。

 世界の壁にまたもはね返された。最内1番ゲートから内ラチ沿いに好位でレースを進めたクリンチャーだったが、最後の直線で失速した。自身5年ぶり7度目、40代最後の凱旋門挑戦となった武豊は悔しさをにじませた。

 「レース自体はプラン通りのポジションが取れたし、流れも悪くなかった。エネイブルもさすがのいいポジションだったが、(道中は)あまり慌てないように、ペースと前の動きを見ながらだった」

 圧倒的1番人気に支持された昨年の覇者・エネイブルと併走する形で、前めの位置を取った。しかし、直線に入ると、もう余力は残っていなかった。気温15度。午前中に小雨は降ったものの、パリロンシャン競馬場の馬場状態は「良」の発表。不良、重馬場の適性が高いクリンチャーにとって、“天も味方”とまではいかなかった。

 敗れはしたが、大いなる挑戦だった。前田幸治オーナーが「今回は五輪精神かな。ただ、伏兵でも挑戦する以上はノーチャンスじゃない」と話したように「チャレンジング・スピリット」を胸に抱き、国内G1未勝利馬が海を渡った。前哨戦のフォワ賞(9月16日)は太め残りで最下位6着。それでも、武豊は「確実に次は良くなるという仕上げだったので、悲観はしていない」とあくまで本番を見据えていた。最終追いでは“負荷をかける”ことをテーマに、スタミナが必要なダートコースで単走。仕上げ自体に悔いはなかった。

 1969年のスピードシンボリから始まった日本調教馬の挑戦。初挑戦からちょうど50年目となった今年も悲願はならなかった。「一番勝ちたいレース」と公言してきた武豊自身も7度目の挑戦でも夢はかなわず、「凱旋門賞で6勝目の人(デットーリ)もいるぐらいだから、7度目といってもまだまだ」。そして、最後に力強くこう締めくくった。

 「日本の競馬ファンも凱旋門賞に対する思いは大きい。トライし続ければ、いつか必ず勝つ日が来る。僕にとっても毎年の大きな夢」――。その熱い思いがきっと、新たな歴史の扉をこじ開ける。

 ▼凱旋門賞 第1次世界大戦後、フランス競馬が復活。この機会に仏を代表する競走を新設したいと考えた当時の統括機関が「若馬と古馬の2400メートル戦。10月第1日曜日開催」の大一番を構想。1920年、すでに1882年から使われていた「凱旋門賞」のレース名をこのビッグレースに移し、施行された。昨年、一昨年はロンシャン競馬場(現パリロンシャン競馬場)の改修に伴い、16、17年はシャンティイ競馬場に開催を移した。欧州競馬を締めくくる一戦であり、米ブリーダーズC、ドバイワールドCと並ぶ世界最高峰レースの1つ。賞金総額500万ユーロ(約6億5600万円)、1着賞金285万7000ユーロ(約3億7500万円)。

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