菜七子を祝福!小桧山師「天馬の翼」で一里塚を超えていけ

[ 2018年8月26日 09:10 ]

菜七子を全面支援してきた小桧山悟師
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 菜七子の新記録達成に競馬サークルは祝賀ムード一色に包まれた。今年1月のフェアリーS(G3)で管理馬ジョブックコメン(タレント・萩本欽一氏所有)に騎乗させるなど、菜七子を全面支援してきたのが小桧山悟師(64)。「筆も立つトレーナー」として知られる同師が、祝いの原稿をスポニチ本紙に寄せた。

 菜七子、おめでとう。近くで見守ってきた一人として、うれしい限りです。親しい根本師が預かる話題のジョッキーということで、デビュー前から注目していた。カメラを手に川崎競馬場(16年3月3日)での初騎乗も見に行った。調教師の特権を生かして、マスコミが入れないような場所からその表情を見ることもできた。ファインダー越しに見る彼女の顔はまだ幼かったが、懸命に馬を追う姿には華があった。

 16年夏、初の海外遠征となった英国にも同行した。根本師に頼まれて非公式に付き添った形だ。残念ながらこの時はパドックで騎乗馬と共に転倒し、レースに乗ることができなかった。悔し涙を流す彼女に声を掛けた。「菜七子、競馬だから仕方ない。ケガしなかっただけ、もうけものだ。今日の悔しさをバネに頑張れば、笑い話にできる日が来るよ」。

 翌日、JRA関係者の粋な計らいで彼女は英ニューマーケットで朝の調教に乗ることができた。同地のラージヒルを駆け上がる馬の上には、いつもの菜七子スマイルが戻っていた。そろそろ、あの時のことは彼女の中で笑い話になっただろうか。

 デビュー当初からそのレースぶりに、オッと思うことがある。最後の直線。彼女自身は必死で追っているのだが、フォームが安定しない。厳しい言い方をすると、馬の動きを邪魔していることがあった。それでも、なぜか馬は伸びてきた。これは天性のもので、理屈では説明できない。一流騎手なら皆が持っている「天馬の翼」のようなものだ。

 ここまで順調に成長してきた。最近はカッコ悪くなく伸びてくるようになった。研さんを積み、さらにフォームが安定すれば、もっと人馬の一体感が出てくる。今回の記録は単なる一里塚にすぎない。本当の開花はさらに先にある。競馬社会のみならず世間からこれだけの注目を浴びるジョッキーは武豊以来かもしれない。今の競馬界の宝だ。(JRA調教師)

 ◆小桧山 悟(こびやま・さとる)1954年(昭29)1月20日生まれ、兵庫県出身の64歳。東京農工大卒。調教助手を経て95年に調教師免許取得。96年に美浦で開業し、スマイルジャック(JRA重賞3勝)などを管理。馬事文化への造詣が深く、エッセー「馬を巡る旅」などを上梓。プロ級のカメラの腕を生かして、野生ゴリラの写真集も出版した。

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2018年8月26日のニュース