V条件「1コーナー10番手以内」は死語、武豊が変えたダービーポジション

[ 2018年5月21日 11:00 ]

日本ダービー七不思議(1)

05年のダービーを制した武豊騎乗のディープインパクト
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 今年で85回目を迎える日本ダービー。3歳馬の頂点を目指す最高峰の戦いには、数々のドラマと共に多くの謎も潜む。本紙ではダービーウイーク大型連載として「検証 日本ダービー七不思議」をスタート。第1回は「ダービーポジション」。優勝の条件とされてきた「1コーナー10番手以内」の位置取りは今でも必要なのか。それとも、もはや死語なのか。関係者の証言を基に検証した。 日本ダービー

 東京競馬場に悲鳴と絶叫が交錯したのは、大学紛争で列島が揺れた69年のダービーだった。フルゲート28頭が位置取りを巡って1コーナーに殺到。もみ合うように馬群がひしめく。突然、1番人気タカツバキが内外から押されて浮き上がると、行き場を失って転倒した。「ダービーポジションなんて言葉を聞くようになったのは、あの落馬の頃からですよ。30頭近くの馬が出るのだから、ある程度前に位置しなければ馬群をさばけない。位置取りを巡って1コーナーは殺気立っていた」。この年、ダンデイボーイ(23着)でダービー初騎乗を果たした柴田政人(現調教師)は振り返る。

 「中団以降では囲まれて動きが取れなくなる。昨年、ルメールがレイデオロを向正面で後方から2番手まで押し上げたが、昭和のダービーは外ラチまで馬が広がっていて、動きたくても動けない。馬群に隙間ができれば幸運。だから、当時のダービーは最も運の強い馬が勝つとも言われた」

 ごった返す馬群をさばくのに無理のない位置取りが“1コーナー10番手以内”のダービーポジションである。53年に最多の33頭立てを記録。綱のバリアーからパイプ式発馬機の導入でフルゲートは63年に28頭、86年には24頭に制限されるが、ダービーポジションは厳然と存在した。87年にメリーナイスで優勝した根本康広(現調教師)は「大けやき(3コーナー)を過ぎた辺りから先行馬がバテて下がってくる。後ろから行ったらさばけない。ミスターシービーみたいな追い込みは例外。よっぽどの脚がなければ無理だった」と語る。1コーナー10番手以内を巡って色めき立つ当時のダービーを「追い越し車線が短い高速道路」になぞらえた。

 ダービーの様相が一変したのは、フルゲートが現行の18頭になった92年。後方からでも馬群をさばけるレースに生まれ変わった。93年にウイニングチケットで悲願のタイトルを手にした柴田政人は1コーナー12番手の位置取り。「10番手以内にこだわる必要はなくなっていた」と語る。

 「18頭立ての時代にダービーポジションなんて死語ですよ。僕はデビューから一度も気にしたことがない」と言い放つのが最多5勝の武豊。99年アドマイヤベガ、05年ディープインパクト、13年キズナでは1コーナー15、16番手から追い込んだ。「(ダービーを変えたのは)爆発力に優れていたサンデーサイレンス産駒(クラシックは95年以降)の出現が大きい」。前記3頭もSSの血統だが、ダービーを決定的に変えたのは武豊の騎乗だろう。「ダービーポジション?それ何?」。昨年制したルメールは首をかしげる。「初めて聞く言葉です」

 タカツバキの落馬から半世紀。最も運の強い馬が勝つ時代はとっくに過ぎ去った。ポジションも運も不問。最も強い馬が勝つのが今日のダービーだ。

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