【G1温故知新】1993年フェブラリーH14着 エイシンオレゴン

[ 2017年2月15日 06:00 ]

新規騎手免許第1次試験を終えガッツポーズする内藤繁春元調教師
Photo By スポニチ

 G1の過去の勝ち馬や惜しくも力及ばなかった馬、記録以上に記憶に残る馬たちを回顧し、今年のレースの注目馬や見どころを探る「G1温故知新」。第12回は1993年のフェブラリーハンデキャップ(現フェブラリーステークス)に出走するも14着に終わったエイシンオレゴンを中心に、故・内藤繁春調教師の足跡を振り返る。

 中央競馬ではそれほど珍しいケースではないが、フェブラリーSが施行される東京ダート1600mコースは芝スタートである。「ダートG1としていかがなものか」という異論はあるものの、1997年のG1昇格以来変化することなく続いている。

 ダート未経験の芝馬が度々参戦してくるのも、そんな事情が多少影響しているのかも知れない。中でも印象的なのは2013年に出走した栗東・平田修厩舎のカレンブラックヒルだろう。まだ底が割れていない状態で砂の最高峰に参戦した同馬は1番人気に推されたものの、申し訳程度の芝を味方につけることが出来ず15着に沈んだ。

  “4年越しのリベンジ“とばかりに平田厩舎が今年のフェブラリーSに送り出すのは4歳馬ゴールドドリームである。G3・ユニコーンSを制すなど同条件で3戦2勝2着1回。前走のチャンピオンズCでは歴戦の古馬勢の前に惨敗を喫したが、得意条件のここなら通用してもおかしくない。これで鞍上がミルコなら平田師も自信満々か。

 平田師と聞いて思い出されるのは、1991年の有馬記念馬ダイユウサクだろう。というのも、平田師が内藤繁春厩舎で調教助手として同馬を担当していたのだ。

 平田師の師匠であり、13年夏に鬼籍に入った内藤師は独自の理念を持つ調教師として知られていた。良血とは呼べないような競走馬を、健康な状態を維持しつつ頻繁に出走させる。通算出走数はJRA記録となる1万1201戦。うち893戦で勝ち星を挙げている。また、アメリカやカナダなどから独自に買い付けた競走馬を種牡馬入りさせたり、門別に優駿牧場を設立して育成牧場として利用したり(のちに生産牧場兼用)と、試行錯誤を繰り返した。1979年の菊花賞でワンツーフィニッシュを決め、そして91年の有馬記念をブービー人気のダイユウサクで制覇するなどビッグタイトルも手にした。不思議とダートの活躍馬にはあまり恵まれなかったが、師唯一のフェブラリーH出走馬になるエイシンオレゴンは個性的な馬だった。

 1989年生まれの米国産馬で、芝の淀短距離Sをコースレコードで逃げ切り、ダートG3・根岸Sでも3着に入った。だが、淀短距離Sは11番人気、根岸Sに至っては単勝14番人気で複勝3710円と、人気薄の激走だった。タイプとしてはハナを切れないともろい典型的な逃げ馬であったものの、年齢を重ねるにつれて番手の競馬もこなすようになった。それでも2桁着順は中央全30戦中15度を数え、唯一のG1出走である1992年のマイルCSは17着と惨敗。翌年のフェブラリーHもハンデ54キロと比較的恵量だったが、14着に敗れた。

 とは言え、目立った血統ではなかった彼をオープン級に出世させたのは、内藤師の功績の一つと呼べるだろう。2000年秋、翌春に定年を迎えようとしていた師は驚きの決断をする。なんと69歳にしてJRAに騎手試験願書を提出したのである。結局、この無謀とも呼べる挑戦は1次試験落ちという形で頓挫することになるのだが、師は生前「私は死ぬまで馬の世界に身を置きたかった。馬とともに生き続けることだけが目標だった」と無念の思いを著書に記している。

 内藤師の門下生は平田師のほかに石坂正師などがいる。石坂師はベストウォーリア、そしてモーニンという強力な両G1馬をフェブラリーSに送り出してくるが、弟弟子に当たる平田師は年若いゴールドドリームでどう応戦するだろうか?カレンブラックヒル以来の挑戦となる師の大仕事に期待したい。

(文中の馬齢表記は新表記で統一)

続きを表示

この記事のフォト

2017年2月15日のニュース