【G1温故知新】2000年阪神3歳牝馬S優勝 テイエムオーシャン

[ 2016年12月7日 06:00 ]

テイエムオーシャンと本田優騎手(当時)左は西浦勝一調教師
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 G1の過去の勝ち馬や惜しくも力及ばなかった馬、記録以上に記憶に残る馬たちを回顧し、今年のレースの注目馬や見どころを探る「G1温故知新」。第9回は2000年の阪神3歳牝馬S(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)を完勝し、翌年には桜花賞と秋華賞の牝馬2冠を制覇したテイエムオーシャンと、その手綱を取った本田優現調教師の活躍を回顧する。

 中央・交流合わせてG1・10勝を挙げたホッコータルマエが予期せぬ形でターフを去ることになった。大目標としていた「チャンピオンズC」を目前にしての引退に、ジョッキーとして長らく同馬に連れ添ってきた幸英明、この歴史的名馬を育て上げた西浦勝一調教師は本当に無念だろう。

 ところで西浦師はかつて、ともに牝馬2冠に輝いたテイエムオーシャンとカワカミプリンセスの名牝2騎を手掛けた実績がある。その2頭に共通するのは、ともに本田が主戦騎手を務めたということだ。

 本田は1959年東京生まれ。騎手養成所への入所を経て、栗東の星川薫厩舎に所属した。1980年春のデビューから1年足らずで翌年の京都記念・春をロビンソンシチーで制覇。やがて1986年にはゴールドシチーで阪神3歳Sを勝利し、G1初制覇を果たした。

 だが“西の一番星”となったゴールドシチーは翌年の牡馬クラシックには手が届かずに終わり、本田自身もしばらくビッグタイトルから遠ざかった。停滞しつつあった状況を打破したのは1頭の牝馬だった。“世紀末覇王”テイエムオペラオーが王道路線を完全制覇した2000年にデビューした西浦厩舎のテイエムオーシャンだ。夏の札幌開催でデビュー2連勝を挙げた後、札幌3歳Sに挑戦。ここでは1番人気の3着に敗れたが、勝ったのが翌年のダービー馬ジャングルポケットで、2着馬は次走の東スポ杯3歳Sを快勝するタガノテイオーだったのだから仕方ない。

 「この馬はモノが違う。相当な瞬発力を秘めている」初戦から手綱を取った本田はテイエムオーシャンをこう評した。同い年の牝馬に敵はいない…12月のG1・阪神3歳牝馬S(馬齢表記を世界基準に改めた翌2001年、阪神JFに名称変更)でも当然のごとく1番人気。ところが、レース本番は意外な展開が待っていた。

 西浦師は“好位差し”の競馬を示唆していたが、5枠9番から飛び出したテイエムオーシャンはベテラン本田でも抑え切れないほどに引っかかってしまった。勢いそのままに、道中外から逃げ馬に競り掛けていく。それでも彼女は直線で本領を発揮した。“暴走”した道中からは予期できないほど力強く伸びる。ゴールの瞬間、2着のダイワルージュとの着差はゆうに2馬身あった。タイムは当時のレースレコードに並ぶ1分34秒6。不本意な内容だったものの、結果は完勝だった。

 翌年、テイエムオーシャンは桜花賞を勝ち、オークスは3着に甘んじたものの、秋華賞を制して牝馬2冠を達成。2006年に無敗のままオークス&秋華賞の2冠に輝いたカワカミプリンセスとともに西浦師の経歴、そして騎手・本田のキャリア終盤を彩る存在となった。

 その本田が調教師免許を取得して10年目の今年、阪神JFに送り出すのがレーヌミノルだ。小倉2歳Sを2着に6馬身差つけ圧勝、続く京王杯2歳Sではモンドキャンノに直線で差し切られたが、1/2馬身差の2着に踏ん張った。マイルという距離に多少の不安はあるものの、スピードは折り紙付き。また、母の母が阪神JFと同じ阪神芝1600メートルのラジオたんぱ杯3歳牝馬S(1987年)の覇者プリンセススキーという血統も見逃せない。プロフィールからすれば戴冠の資格十分。なお、アロンザモナを登録している西浦師とは昨年に続いて同舞台での対決となる。昨年はともに着外に終わったが、今年はどんな結末が待っているのだろうか。

(文中のレース名表記は施行当時の表記で統一)

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