【前橋・寛仁親王牌】稲垣ついに獲った!39歳G1決勝12度目の正直

[ 2016年10月11日 05:30 ]

G1初優勝し、ウイニングランでファンに応える稲垣裕之
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 稲垣裕之が涙のG1初制覇――。平成28年熊本地震被災地支援競輪「第25回寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(G1)」の決勝戦が10日、前橋競輪場で行われ、稲垣裕之(39=京都・86期)が脇本雄太マークから番手まくりで優勝。賞金2890万円と「グランプリ2016」(12月30日、立川競輪場)の出場権を獲得した。2着は平原康多、3着は村上義弘だった。

 平原と並んでのゴール。稲垣は勝ったかどうか分からなかった。半信半疑のまま半周するとフェンスの向こうからファンが教えてくれた。「おめでとう、稲垣!!」。直後、村上義が肩を叩いてくれた。勝っていた。どっと涙があふれた。右手で遅ればせながらガッツポーズをつくった。

 「自分はタイトルに縁がないと思っていた。本当にうれしい。感謝の気持ちでいっぱいです」。涙があふれる。39歳、G1初優勝。格別の味だった。

 04年9月の西武園オールスターから今年8月の松戸オールスターまで、過去11回のG1決勝戦でことごとく悔しさを味わった。松戸オールスターでは尊敬する村上義の先行に乗る必勝態勢で臨みながら、岩津裕介に1/4輪(約17センチ)差された。情けなかった。悔し涙に暮れた。

 12回目の挑戦。脇本―稲垣―村上の結束で挑んだ。脇本が残り2周から果敢に先行する絶好の展開。4番手の古性がまくると、こん身の番手まくり。「まだ頑張っていた脇本君に悪いけど踏ませてもらった」。平原の直線強襲をこらえ切った先に初めて味わう栄光が待っていた。平原との着差は1/4輪。くしくも松戸ASで敗れた岩津との着差と同じだった。

 10年8月には骨盤骨折の重傷を負った。「G1の舞台にはもう戻れないのか…」。しかし家族、そして村上義ら多くの選手仲間の支えで乗り越えた。口癖は「感謝」。誰もが認める誠実な男が、ついに周囲への恩返しを果たした。

 G1を獲ってグランプリへ。昨年初めてGP舞台を経験した稲垣は年頭に立てた目標を達成した。「これからはタイトルホルダーとして、ふさわしい走りをしたい」。今回のG1初優勝を機に稲垣は充実期を迎えるはずだ。

 ◆稲垣 裕之(いながき・ひろゆき)1977(昭52)7月28日生まれの39歳。京都府舞鶴市出身。府立西舞鶴高卒。自衛隊を経て01年8月プロデビュー。真面目な人柄でファンも多い。主な優勝はG2・ふるさとダービー松阪(07年11月)、G1・寛仁親王牌(16年10月)。通算取得賞金は6億4079万円。通算1305戦423勝。1メートル78、83キロ。血液型B。

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