【G1温故知新】1998年スプリンターズS優勝 マイネルラヴ

[ 2016年9月28日 06:31 ]

歓喜の渦の中にいたマイネルラヴ

 中央競馬の秋のG1シリーズが10月2日のスプリンターズSから始まる。過去の勝ち馬や惜しくも力及ばなかった馬、記録以上に記憶に残る馬たちを回顧し、今年のレースの注目馬や見どころを探る「G1温故知新」。第1回は3歳で1998年のスプリンターズSを制しながら、最後まで“主役”になれなかったマイネルラヴ。

【スプリンターズS】

 1998年のスプリンターズS。この“勝っても負けてもタイキシャトルのためのレース”において、絶対的主役に泥をぶっかけ、レース後の引退式を寒々しい空気にした馬がいたことを覚えているだろうか。

 マイネルラヴは最後まで“主役”になれなかった馬だった。

 岡田繁幸氏は言い放った。「ラヴが朝日杯を勝ったら英ダービー、あるいはケンタッキーダービーへ登録します」と。「英ダービーに登録します」という宣言は氏の常套句であり、実際にキングハイセイコーの仔を英ダービーに登録したという話は有名。だが、米G2ウイナーの母、そして一流種牡馬シーキングザゴールドを父に持つマイネルラヴの血統は、岡田氏の“世界制覇”という夢に多少なりとも現実味を覚えさせた。

 ところが、彼は“時代の主役たち”と次々に遭遇してしまう。朝日杯ではグラスワンダーに、NHKマイルCではエルコンドルパサーにと、いずれも完敗を喫するのだ。3歳秋初戦こそ制したものの、続くスワンSは人気で7着。その戦績は安定感とはほど遠く、大物食いを期待できる存在というわけでもなかった。少なくとも、この時点では。

 2000年に秋の中山開催へと移行するまで、有馬記念の前週に施行されていたG1・スプリンターズS。マイネルラヴが3歳の身で挑んだこのレースの主演は冒頭で述べたように戦前から定まっていた。

 タイキシャトルの強さは穴党を戦慄させ、本命党のふところと自尊心を豊かにさせた。その軌跡についてはここで語るまでもない。

 単勝オッズ37・6倍。「東のユタカ」こと吉田豊が跨ったマイネルラヴに対する評価はそんなもの。その上、前走スワンSのレース中に目に外傷を負っており、万全な状態とは言い難かった。

 「競馬に絶対はない」こんな言葉で98年のスプリンターズSを片付けるのは乱暴だが、タイキシャトルも機械ではなく、生身の1頭の馬だった。

 マイネルラヴは正攻法でタイキシャトルを下し、G1馬となった。それでも、ほんの一瞬“新王者”という扱われ方はされても「短距離路線の主役」と呼ばれることはなかった。古くはグレートセイカン、最近ではトーホウドリームにエイジアンウインズ…そしてマイネルラヴ。いくら絶対的主役に泥を被せたところで評価が主役を凌駕するとは限らない。

 おそらく今年のスプリンターズSは、4年前に死んだマイネルラヴが種牡馬としてG1を奪取するラストチャンスになるだろう。父の悲願を叶え得る遺児としては、前哨戦3着のラヴァーズポイントらが登録しているが…その遺児よりも3歳馬シュウジに“マイネルラヴの幻影”が重なる。

 2歳夏に華々しい活躍を遂げながら“新時代の主役たち”の前に低迷。しかし、夏のスプリント重賞に的を絞って再起しつつある。今回の大本命はビッグアーサーだろうが、別路線を歩んできた若いシュウジが年長の絶対的主役を食ってしまうのでは…と夢想してしまう。シュウジがマイネルラヴ以来の“3歳牡馬V”を成し遂げることが出来るか、注視したい。

(文中の馬齢表記は新表記で統一)

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