【日本ダービー】長浜師フォルテ ゆかりの“アグネス”でラスト祭典

[ 2016年5月27日 05:30 ]

坂路単走で追い切るアグネスフォルテ

 「第83回日本ダービー」の出走馬、枠順が26日に確定した。この日、3頭が木曜追いを行い、栗東では来年2月いっぱいで定年引退を迎える長浜博之師(69)が送り出すアグネスフォルテが素軽い動きを披露。トレーナーが、ゆかりの「アグネス」の血統で立つ最後の祭典への思いを語った。

【日本ダービー】

 “幻の3冠馬”アグネスタキオンなどを管理した名伯楽・長浜師が、アグネスフォルテと共にラスト・ダービーの舞台に立つ。賞金決定順18番目の“滑り込み”で出走にこぎ着けた。「最後の年にダービーを使えるのは運がいいね。今年はメンバーが強いが、掛からずスムーズに行ければ」と静かに闘志を燃やしている。

 フォルテの4代母アグネスレディーは師の父・彦三郎氏が管理していた名牝。師が初めてG1勝利を手にしたのがレディーの子アグネスフローラの90年桜花賞。そのフローラがアグネスフライトとアグネスタキオンを生み、師を名トレーナーの座へと押し上げた。「思い出が詰まった血統」とトレーナー。現在は「アグネス」の勝負服も先代の渡辺孝男氏(故人)から娘の渡辺公美子氏へと引き継がれた。親から子へ。人馬共に脈々と引き継がれた血と絆のドラマが、大舞台で花を咲かせようとしている。

 フォルテ生産者の富田牧場(北海道浦河町)との付き合いも古く、そして深い。師の重賞初制覇となったナイスナイスナイス(89年きさらぎ賞)も富田牧場の生産馬だった。同牧場の富田秀一氏は「うちの生産馬で最後のダービーの舞台を踏ませてもらえるなんて。感無量のひと言に尽きる」と喜びをかみ締めた。

 ダービーは00年アグネスフライトで初制覇。当時は鞍上・河内(当時45)の悲願に注目が集まった。「あの時は、“お前にとって最後のチャンスになるかもしれない。好きなように乗ってこい”と声を掛けたんだ」と明かす。今年は26歳の若武者・松山に手綱を委ねる。何と声を掛けるか?「若いんだから、経験を積んでこい。それだけだよ」。こうやってバトンは渡されていくものかもしれない。

 ◆長浜 博之(ながはま・ひろゆき)1946年(昭21)9月19日、滋賀県出身の69歳。父・彦三郎氏もJRA調教師。厩務員、調教助手を経て88年に厩舎開業。同年9月17日にタニノカーカネットで初勝利。JRA通算515勝。重賞34勝(27日現在)。

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