【平和島・クラシック】守田の思い 復興の力に、復興を力に

[ 2016年3月16日 05:30 ]

復興半ばの名取市閖上の日和山から犠牲者の冥福を祈る守田俊介

 今年のSG第1弾「第51回ボートレースクラシック」が16日、平和島で開幕する。初日12Rドリーム戦に6号艇で出場する守田俊介(40=滋賀)は、昨年のダービーでSG初制覇。ある考えから、優勝賞金3500万円を全て東日本大震災の被災地に寄付した。5年ぶりに宮城県を訪れた守田に同行し、東北への思い、今年のSGロードに乗り込む心境を聞いた。

 守田が宮城を訪れたのは寒さ厳しい2月中旬だった。「うわっ…」。仙台空港でいきなり言葉を失った。目に飛び込んだのは空港に押し寄せた津波の高さ(3・02メートル)を示す柱。1メートル71の守田など、ひとたまりもない。約5年ぶりの宮城訪問は衝撃的な現実からスタートした。

 昨年10月のダービーでSG初制覇。その賞金3500万円を全額、被災地へと寄付した。5年前の「罪悪感」が守田を突き動かした。

 10年4月、桜前線を追いかけて約1カ月間、マイカーで東北を旅した。岩手、宮城、福島の3県にも寄った。その11カ月後、大震災が発生した。津波、火災、原発…。ニュース映像にがく然としつつも、一つの思いが浮かんだ。「1年前に行った場所はどうなっているのだろう。この目で確かめたい」。翌4月、車に乗り込み、再び宮城へと向かった。守田の目に映ったのは映像で見た以上の惨状だった。

 「海に近づけば近づくほど何もなくなっていく。そんな景色が続くたびに“オレ何やってんやろ”って考え始めた。もう自分が悪いことをしているとしか思えなくなった。東北に行ったのに何もできなかった、あの時の罪悪感は心の中にずっとある」

 逃げるように滋賀へ帰り、残ったのは無力な自分への怒り。だから何かをできる機会をうかがっていた。3500万円。金額の多い少ないは関係なかった。ようやく一つの区切りをつけた。胸の奥にしまい続けていた目標を果たした今、再び被災地に足を踏み入れようと思えた。

 空港から最初に向かったのは閖上(ゆりあげ)。名取市内でも被害が大きかった地区だ。津波で浸水した日和山(ひよりやま)から見えるのは、更地と工事現場ばかり。「正直へこんだ。どこに向かえばいいのか分からない」。震災当時の状況を詳しく知るため、資料が展示されている「閖上の記憶」にも立ち寄った。語り部である小斎正義館長(こさい、74)は、実際に家を流された一人。津波の恐怖、復興への思いを聞いた後、思いを託された。「自分で見たことをぜひ伝えてください。天災は防げないが危機感を持って準備していれば人の命を救うこともできるから」。再び訪れ、この目で見たことは間違いではなかったと確認できた。と同時に、自分も震災の記憶を伝えるバトンを渡されたのだと気持ちが引き締まった。

 南三陸町へと向かった。43人が亡くなった防災対策庁舎。折れ曲がった鉄骨が津波の恐ろしい破壊力を伝えていた。一方で、仮設商店街で懸命に働く人からはパワーをもらった。「思っていたより多くの人がまだ大変な生活を送っている。それなのに…皆さん凄い、というか強い。それに比べたら僕なんて…。普段の生活を続けられることに感謝しないと。震災で生死について考えるようになったし、仕事に対する考えも少し変わった。へこんだけど東北に来て良かった。成績も内容も昨年以上の結果を出したい」

 今大会からスタートする16年SGロード。舞台となる平和島は11日まで東北応援競走を開催したように、復興支援に力を入れているレース場。守田にうってつけの水面だ。「クラシックで恥ずかしいレースはできないね」。照れ笑いを浮かべながらも、その鋭い眼光は新たな決意を感じさせた。新生・守田俊介。戦いがまた始まる。

 ▽仙台空港 地震発生の1時間10分後に津波が到達。ターミナルビルは3・02メートルの高さまで冠水した。

 ▽閖上 震度6強を観測した名取市でも特に被害が大きかった地区。最大浸水高は推定9・09メートル。名取市の死者884人のうち、753人が閖上地区だった。(14年3月31日時点)

 ▽南三陸町 高さ10メートル以上の大津波が襲来。死者は620人、行方不明者は212人。防災対策庁舎がある志津川地区を襲った津波は高さ15・9メートルと発表されている。

 ◆守田 俊介(もりた・しゅんすけ)1975年(昭50)8月12日、京都生まれの40歳。滋賀支部所属の74期生で、94年5月にびわこでデビュー。同期は辻栄蔵ら。通算成績は1着1661回、229優出79V。G1は25優出3V、SGは6優出1V。1メートル71、53キロ。血液型A。好物は回転ずし。

続きを表示

この記事のフォト

2016年3月16日のニュース