【弥彦・寛仁親王牌】園田14年目初G1!吉岡師匠泣かせた

[ 2015年7月21日 05:30 ]

表彰台で笑顔を見せる優勝した園田匠(中央)2着・武田(左)3着・神山

 園田匠がG1初制覇――。「第24回寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント」の決勝戦が20日、新潟・弥彦競輪場で行われた。園田匠(33=福岡・87期)が直線追い込んで優勝。賞金2890万円と「グランプリ2015」(12月30日=京王閣競輪場)の出場権利を獲得した。2着は武田豊樹で2車単(8)(1)は3万7890円の高配当。なお4車で結束した北日本勢は新田祐大が不発で共倒れになった。

 園田が2度目のG1決勝で表彰台の中央に立った。「G1を勝つために選手になった」。強い意志を持って練習に励んだ園田はデビュー14年目で目標の1つを達成した。

 園田が競輪選手を目指したのは高校時代(97年4月~00年3月)。当時は高校の先輩でもある吉岡稔真(引退=スポニチ本紙評論家)の全盛時代。園田は吉岡にあこがれて「強くなるには強い人の下で練習する」と吉岡の弟子入りを志願した。師匠との約束は「タイトルを獲ること」だった。

 吉岡はデビュー当時の園田を「粗削りだけど練習は一生懸命していた。いい素質はあるけどレースになると歯がゆい面があった」と振り返る。しかし偉大な師匠に少しでも近づこうと「自分らしく泥くさく」練習を重ね、着実に力をつけてビッグ戦線の常連になった。

 「大塚さんや小倉さんにアドバイスを受けて」臨んだ決勝戦。前の金子が武田にさばかれる流れになったが「どんな展開になっても最後まで諦めない」という園田らしい走りで直線に入ると、鋭い差し脚で真っ先にゴール線を駆け抜けた。

 敢闘門に引き揚げると師匠の姿があった。園田は「(興奮して)何を話したか覚えてません…」。師匠は愛弟子を祝福した後にサングラスをかけたが「涙を見せないように…」と自分のことのように喜んだ。

 「師匠、先輩、仲間、そして妻の良恵(よしえ)、丈夫な体に産んでくれた両親。全ての人に感謝しています。タイトルは2つ勝って本物と師匠にも言われています。次は師匠が獲れなかったオールスターを勝つことを目標に努力します」と次の目標を掲げた。5年連続の弥彦・親王牌は園田のG1初制覇で幕を閉じた。

 ◆園田 匠(そのだ・たくみ)1981年(昭56)9月22日、福岡県生まれの33歳。私立豊国学園高卒。02年8月プロデビュー。師匠は吉岡稔真(スポニチ本紙評論家)。通算成績は1050戦218勝。通算取得賞金は3億3362万円。主な優勝は第24回寛仁親王牌(15年)。1メートル68、62キロ。血液型B。

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