【凱旋門賞】初挑戦から44年 プライドの高い欧州への挑戦の歴史

[ 2013年10月3日 06:00 ]

【日本競馬はなぜ凱旋門賞を目指すのか】

 日本人ホースマンは、なぜ凱旋門賞を目指すのか。格でいえばブリーダーズC(米国)もドバイワールドC(UAE)も互角だ。それでも10月のロンシャンにこだわるのは先人たちの苦労をよく知っているからだ。

 初めて挑戦した69年スピードシンボリ(着外=11着以下)。野平祐二騎手(当時)は、いつまでも環境に慣れず、やせ細った相棒の喉に手を突っ込み、泣きながらカイバを押し込んだ。72年メジロムサシ(18着)。北野豊吉オーナー夫人、ミヤ氏は明かした。「思うように調教させてもらえなかった。いじめられた」

 凱旋門賞はずっと「優しい日本人がプライドの高い欧州の前に屈する」という構図だった。初挑戦から44年。日本人の気質も変わった。本場へのコンプレックスはもうない。凱旋門賞制覇。その瞬間、欧州は、日本の競馬を心の底から認めるはずだ。

 ▽凱旋門賞 第1次世界大戦後、仏競馬が復活。この機会に仏を代表する競走を新設したいと考えた当時の統括機関が「若馬と古馬の2400メートル戦、10月第1日曜日開催」の大一番を構想。1920年、既に1882年から使われていた「凱旋門賞」のレース名をこのビッグレースに移し、施行された。欧州競馬を締めくくる一戦であり、米ブリーダーズC、ドバイワールドCと並ぶ世界最高峰レースの一つ。賞金総額480万ユーロ(約6億3500万円)、1着賞金274万2720ユーロ(約3億6200万円)。

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2013年10月3日のニュース