【宝塚記念】元担当・山元氏「ステイは自分より強い馬に燃えていた」

[ 2013年6月19日 06:00 ]

現在19歳のステイゴールドは宝塚記念に産駒3頭を送り込む(ビッグレッドファーム・蛯名聡氏提供)

 4歳3強の構図となった宝塚記念。ゴールドシップ、フェノーメノの父ステイゴールド、ゴールドの母の父メジロマックイーン、ジェンティルの父ディープインパクトは、それぞれ夏のグランプリでライバルとしのぎを削った。3頭はどう戦ったのか。その遺伝子は、どう受け継がれたのか。その血を知る男たちを取り上げる。ステイゴールドを担当した山元重治さん(55)を直撃。

 鹿児島県の東部、志布志市。南国特有の強い日差しを浴びながら山元さんは実家の畑で汗を流していた。定年まで約10年を残して昨年末、早期退職の形で厩務員31年のキャリアにピリオド。今春、故郷で家業を継ぐべく、第2の人生をスタートさせた。

 「焼酎用のサツマイモをつくっているんやわ。あと米もね。経験がないから、しんどいけど農家も楽しいもんや。仕事は山ほど(笑い)。これからまた体力をつけていかないとな」。早朝から日が暮れるまでサツマイモづくりに励む日々。馬づくりの経験は豊富でも畑仕事はまだ慣れない。それでも毎日が充実しているという。ただ…「なかなか競馬を見る時間がない」と苦笑いした。

 かつて池江泰郎厩舎(解散)のスタッフとしてステイゴールドを担当。今、その産駒が競馬をけん引する。宝塚記念では“3強”のうち2頭(ゴールドシップ、フェノーメノ)を占め、ナカヤマナイトもエントリー。あらためてステイゴールドとは、どんな存在だったか、振り返った。

 「気が強かった。自分の存在を誇示していたし、自分より強い馬に対して闘志を燃やした。普段はうるさくても、競馬に行くとそういう面を見せない。賢い馬だったし集中力が凄かった」

 勝負の世界に身を置き、勝つ難しさは身に染みている。夏のグランプリは98年から4年連続出走。2、3、4、4着。国内ではG1に手が届きそうで届かなかった。その分も。産駒に寄せる期待は大きい。「俺は今回、ステイの子だけを応援する。あとは一緒に仕事をしていた泰寿君(池江師=ダノンバラード)の馬かな」。トレセンを離れた今も、苦楽を共にしたステイゴールドへの愛情は変わらない。

 ◆山元 重治(やまもと・しげはる)1957年(昭32)11月15日、鹿児島県生まれの55歳。池江泰郎厩舎でメジロランバダ(重賞2勝)、ステイゴールドなどを担当。11年2月末に池江厩舎が解散後、日吉厩舎へ。昨年末退職。子供は3人、孫が4人。長男・譲治氏は池江泰寿厩舎の調教助手。

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