【有馬記念】03年クリスエス連覇達成「闘争本能の塊だった」

[ 2012年12月21日 06:00 ]

9馬身差をつけて連覇を果たしたシンボリクリスエス

 引き運動を続けていると、馬道ですれ違った厩務員仲間が困った顔で声を掛けてくる。「浴中さん、このシンボリクリスエスの子、気が悪いよ。何とかして」。浴中厩務員は「親父はそんなことなかったけどな」と笑いながら、11年前を思い浮かべた。引退戦は有馬記念史上最大となる9馬身差でグランプリ連覇。

 「自信はあったよ。天皇賞(秋)、JC連戦後も強い追い切りを重ねたんだが、全くへこたれず、どんどん良くなってくる。凄い体力をつけていた。いつもおとなしいのに、レースが近づいてくると目つきがきつくなってね。カメラマンも怖がってたもんなあ」。ラストラン直前のこと。厩舎にカメラマンが集団で押しかけた。「少し離れたところから撮ってくれ。近づくと襲いかかってくるぞ」。それほど闘争心はピークに達していた。「競馬では前にいる馬をすさまじい勢いでつかまえようとする。闘争本能の塊だった。1年目の有馬制覇(02年)は大逃げのタップダンスシチーを絶対届かない位置から蛇行しながら差し切ったもんな」

 浴中厩務員には願い事がひとつだけある。「でかくて、線が奇麗で、迫力のあった親父の子を辞める前に世話してみたいな」。

 ◆浴中 孝(えきなか・たかし)1955年(昭30)7月15日、山口県生まれの57歳。1年間の牧場勤務を経て80年、佐藤嘉厩舎に厩務員として配属。87年に開業した藤沢和厩舎へ。06年、加賀厩舎に移り、現在は松山将厩舎でリバティーアゲイン(3歳500万)、オリアーナ(2歳新馬)担当。

続きを表示

この記事のフォト

2012年12月21日のニュース