【凱旋門賞】池江師「勝ったと思ったけど…」父のリベンジならず

[ 2012年10月8日 06:00 ]

オルフェーヴルが2着に終わり、厳しい表情で記者の質問に答える池江泰寿調教師

 池江家の夢は、またも散った。オルフェーヴルが敗れた凱旋門賞。幼い頃から、このレースに憧れ続けた池江泰寿師(43)。父ステイゴールド、母の父メジロマックイーンという、父・泰郎元調教師(スポニチ本紙評論家)が鍛え上げた血統で挑んだが及ばず。06年ディープインパクト(3位入線後失格)で敗れた父のリベンジはならなかった。

 敗れた瞬間、池江師は唇をかみしめた。「勝ったと思ったけどな…。でも、これが勝負。勝った馬が一番強い」。悔しさ半分、さばさばした感情が半分。指揮官は、やりきった表情をしていた。

 「スミヨンはパーフェクトに乗ってくれた。ただ、運がなかった。キャメロット、サオノワを警戒しすぎた。もう少し前にいた馬が頑張ってくれたら」。人気上位勢がそろって壊滅。ライバルのマークが早めにオルフェに集中したことも、最後の失速につながった。

 凱旋門賞。それは池江師にとって子供の頃からの憧れだった。雑誌か新聞で見た、ある馬の写真に心を奪われた。父に聞くとスピードシンボリだという。「あの凱旋門賞にも行ったんだぞ」。がいせんもんしょう?その瞬間から、泰寿少年の夢が決まった。

 年賀状にスピードシンボリの絵を描き、友人に送った。大学生になり、迷わず行った観光地はパリ。凱旋門に登り「将来、凱旋門賞を勝つ調教師になる」と誓った。初めて生で見た凱旋門賞は96年。イギリスのマイケル・スタウト厩舎のスタッフとしてピルサドスキー(2着)を応援。以後、ディラントーマスが勝った07年など、5度にわたって現地観戦を重ねた。そして今年、夢に見続けた栄光の舞台に立った。あと一歩、あとひと押しだった。

 「このレースを勝つために、またこの地に戻ってきたい。勝たなければいけないレースだと感じた。僕はこれからも挑戦する。このままではやめられない」。若き指揮官は語った。凱旋門のてっぺんで立てた誓いは必ずかなえる。そう決めた。

 ◆池江 泰寿(いけえ・やすとし)1969年(昭44)1月13日、滋賀県生まれの43歳。父は池江泰郎元調教師。武豊と幼なじみで騎手を志すが、背が伸びたため断念。同大卒業後、栗東トレセン入り。浅見国一厩舎を経て池江泰郎厩舎所属となり、調教助手として父を支えた。この間に海外修行も経験。03年に調教師試験合格、翌年厩舎開業。06年ドリームジャーニーが朝日杯FSを勝ち、初G1制覇。08年最多勝利調教師賞(51勝)獲得。昨年オルフェーヴルで3冠。

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2012年10月8日のニュース