小島貞博調教師、首つりか 栗東トレセン内で発見

[ 2012年1月24日 06:00 ]

92年日本ダービーを制し、ミホノブルボンにまたがり、師匠・戸山師(右)と口取りに並ぶ小島貞騎手

 騎手として92年ミホノブルボン、95年タヤスツヨシでダービー2勝を挙げ、その後調教師として厩舎を開業していた小島貞博さん(60)が23日午後6時36分、滋賀県栗東市内の病院で死亡した。同日午後、同市内の栗東トレーニングセンター内にある厩舎2階で首をつって自殺を図ったとみられる。

 関係者によると24、25日の調教師免許更新の面接を前にして、厩舎経営について悩んでいたという。23日、夫人に「先に行くから」という内容の電話があったあと、午後3時ぐらいから連絡がつかなくなっていた。

 小島さんは1951年(昭26)11月10日、北海道生まれ。71年、生涯の師匠となる戸山為夫調教師のもとで騎手デビュー。戸山厩舎の所属騎手として82年に春秋の中山大障害を制覇するなど当初は障害騎手としても活躍。ケガを機に平地競走に比重を移し、91年にミホノブルボンで朝日杯3歳ステークスで平地G1初制覇。翌92年、ミホノブルボンの主戦として皐月賞、ダービーで2冠を獲得した。93年に戸山師が死亡、厩舎が解散してフリーとなり、一時期は不遇を託(かこ)った。

 しかし、知己であった鶴留明雄調教師のバックアップにより94年にチョウカイキャロルでオークス制覇、さらに95年にはタヤスツヨシで史上10人目のダービー2勝目を挙げるなど大レースで顕著な活躍をした。騎手として4722戦495勝の記録を残した。その後は01年に調教師免許取得、03年に厩舎を開業した。05年にテイエムドラゴンで中山大障害を制するなど調教師としては1705戦137勝を挙げていた。

 <小島貞厩舎の所属馬>オープン馬はスポニチ賞京都金杯10着のヤマカツハクリュウ、15日の京都・山科Sを勝ってオープン入りしたばかりのシゲルソウウン。準オープンのシゲルリジチョウは、昨年の菊花賞に出走し14着だった。

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