【日本ダービー】挫折乗り越え40年来の夢実現へ

[ 2011年5月28日 08:22 ]

サダムパテックで初のダービー制覇に挑む西園正都師(右)。隣は岩田騎手

思い出の優駿最終回 サダムパテック・西園正都調教師

 西園正都師(55)が競馬の世界を志したのはダービーがきっかけだ。69年、中学2年生の時だった。

 「当時は鹿児島にいたのでテレビ中継がダービーくらいしかなくて。ダイシンボルガードが勝ったダービーを見て、こういう世界があるのかと衝撃を受けました。中学の時なので記憶はおぼろげですが競馬自体、ダービー自体がかっこいいなと思ったんですよ」

 その中心にはジョッキーがいた。馬事公苑の騎手課程へ進むと、さらに夢は深まっていった。

 「(田島)良保さんがヒカルイマイで勝った第38回を学校のテレビで見て興奮しました。自分もいつか、将来は絶対に…と」

 しかし22年間の騎手生活で、ダービーの騎乗機会は訪れなかった。ローカル中心の騎乗でテレビ観戦ばかり。「やっぱり乗りたかった」という思いを捨てて調教師を目指した。41歳で合格後すぐに技術調教師としてダービー当日、東京の地を踏んだ。97年7着、後に菊花賞を制するマチカネフクキタルでのことだ。

 「調教に乗っていましたから。4角で“オッ”と思いましたねえ。その後もいい勉強になりました」

 翌98年に開業し、今年が2回目のダービー出走だ。

 「この世界に入って40年、1番勝ちたいのはダービー。騎手として成し遂げられなかったことを調教師でと思っています」。挫折を経験してもダービーという夢を追い続けてきた。それが11年5月29日につながっている。

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2011年5月28日のニュース