竹中功のナニワ新報

Vol.26 夏がくれば思い出す~前編

[ 2019年4月11日 12:00 ]

秘蔵コレクションを披露する菊水丸(中)と筆者(右)
Photo By スポニチ

 30数年前なら、夏になって出会うモノと言えば「セミ」と「蚊」、それと盆踊りの歌手「音頭取り」と言われていたものだが、今やテレビなどで「大阪」を題材にした時に聞こえてくるのは年がら年中「吉本新喜劇のテーマ」か「河内音頭」である。その河内音頭の大衆化を推し進めた人はこのスポニチコラムでボクの隣組で執筆中の河内家菊水丸だ。「菊水丸店主 珍宝堂」というタイトルのコラムもタイムリーな話題で毎回楽しませてくれている。

 先日、久しぶりに京都府の東端、相楽郡のでっかい一軒家の自宅の資料室「河内音頭の館」を訪ねた。今まで2度訪問したことはあったが、なかなか深いところまで見学もしていなかったので2時間にわたってゆっくりと見せていただいた。

 中のプライベート資料館は5部屋ほどに分かれており、各部屋はそれぞれのテーマが設けられたものになっている。順に案内してもらって回ったのだが、立派な博物館で、そこに所属する学芸員に案内してもらったような満足が得られた。

 それぞれは大好きな「相撲」に関する間。2025年開催を前に今また話題の70年大阪万博のお宝グッズ満杯の間。河内音頭の古典ネタの参考にもしている浪花節の台本のコレクション。上方芸能に関するさまざまな書籍や映像、音源やスクラップ。そして円谷プロのウルトラシリーズの関連では貴重なドラマの台本やスナップ写真。日活ロマンポルノ関連も半端ないものだった。

 出演者直筆のサインが入ってある台本なども多くあったが、一部のモノは秘密ルートを経て手に入れたものもあるようだ。しかも秘蔵コレクションにはサインなどだけではなく、小泉今日子の汗を拭いた未洗濯のタオルや、かとうれいこの飲んだジュースの空き缶もあった。なんば花月(1988年閉館)の舞台で使用されていたメクリのコレクションには懐かしさがこみ上げた。当時の花月では芸人が舞台に上がる際、袖に芸名が書かれたベニア板が差し替えられる。今ではデジタル表示に変わったが、昔はその手動の感じがワクワク感を盛り上げてくれた。トリの「落語 笑福亭仁鶴」に看板が差し替えられたら、それだけで拍手の嵐だった。それらは吉本興業の許可ももらって彼は手に入れていたのだ。

 もうここまで来ると「変態か?」という声も聞こえそうだが、コレクターというものはそういうもの。どんどんと深海に潜っていくダイバーのようなものなのだ。

 実はボクが吉本興業在籍時、所属は「広報室」ではあったものの、誰も扱い手のない「河内音頭」を1人で引き受け、彼と二人三脚で大阪ローカルの人気者を全国区の人気者への山を登ったものだ。菊水丸は今もボクのことを「初代マネージャー」と呼んでくれるのは光栄である。

 ところで「運」はどこからやって来るのかは今でも分からないが、30年ほど前のボクと彼はいつも具体的な夢を語っていた。その時は夢でしかないが、具体的なことを言葉にすることが重要だった。最近の子どもに「何がほしい?」と聞くと「お金!」と答え、何故かと聞くと、「何でも買えるから!」と来る。残念な子どもたちだ。夢がないのだ!「お金」の力がオールマイティだと思っているのだろうか?

 しかしボクたちは違った。20歳代だった2人はガキのように手に入れたいモノを言葉にしていたのだ。彼は今も下戸だが、ボクも当時は下戸だったんで、オールナイト喫茶で朝までチョコレートパフェを食べながら好きなことを語り合っていた。

 「河内音頭界初のCDを出そうや」「全国ネットのテレビや映画にも出たいなぁ」「NHK紅白歌合戦にはどうやったら出られるのかな?」などとたわいないことを話していた。とは言え、コツコツとやっていたことはと言えば、「世相を音頭にして語ろう。斬れるところもあるやろうから社会風刺をしよう」などと「新聞(しんもん)詠み河内音頭」の制作にいそしんでいた。話題のニュースを音頭に乗せて歌い、そこに彼の視点を織り込もうというものだった。

 事件モノでいうと「グリコ・森永大事件」「大リクルート事件・江副浩正半生記」「豊田商事最後の日・永野一男一代記」。人物伝では「天才漫才師・横山やすし物語」「浪花の喜劇王・藤山寛美青春編」「美空ひばり物語」「アントニオ猪木一代記」などがある。

 それらをカセットテープで出版などしながら毎年の夏は盆踊りの世界の中だけで楽しくやっていた。(続く)

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