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【1972年9月】せんせい/初の「スタ誕」出身歌手 森昌子本当は「早く辞めたかった」

[ 2011年9月19日 06:00 ]

72年11月16日、第3回日本歌謡大賞でデビュー曲「せんせい」を歌い、放送音楽新人賞受賞者を受賞した森昌子
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 ★72年9月ランキング★
1 京のにわか雨/小柳ルミ子
2 旅の宿/よしだたくろう
3 ひまわりの小径/チェリッシュ
4 どうにもとまらない/山本リンダ
5 虹をわたって/天地真理
6 せんせい/森昌子
7 芽ばえ/麻丘めぐみ
8 夜汽車/欧陽菲菲
9 さよならをするために/ビリー・バンバン
10 男の子女の子/郷ひろみ
注目雨/三善英史
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。

【せんせい/森昌子】

 桜田淳子、岩崎宏美、ピンクレディー、中森明菜…。昭和のアイドル史を彩る大スターを数多く輩出した、日本テレビの「スター誕生」。その第1回決戦大会で13社ものレコード会社、芸能プロダクションがプラカードを掲げ、獲得の意思を示したのが、当時13歳の森田昌子。後の森昌子だった。

 そのデビューシングル「せんせい」が72年7月1日に発売。「学業優先」という契約でホリプロに世話になることを決めたことから、夏休みに集中的にキャンペーンを展開。テレビには歌番組からバラエティーまで30本に出演した。その成果が、2学期が始まった9月に出始め、レコード売り上げ、ラジオのリクエストなどが増え、ヒットチャートの上位に。レコード売り上げは新人では上出来の35万枚を記録した。

 作詞は「スタ誕」の審査員である阿久悠、作曲は演歌の大御所的存在だった遠藤実。作詞家としての知名度が急上昇していた阿久は、自他とも認める歌謡界の革命児だったが、それが保守本流の遠藤と組むという展開は、プロダクション側の意向だった。

 歌の上手さは父親譲りと言われ、2歳で流行歌を口ずさんだという昌子。父親が当時高価だったラジカセを買って、テープに歌声を録音しては歌唱指導した。

 「スタ誕」でもその実力は群を抜いており、デビュー曲には大物新人現る、といった本格的な演歌という線が考えられたが、遠藤が作った誰でも歌えるようなメロディーに、阿久は「時代の中で、今いちばん欠落し、渇望しているものは何だろうかとと考え、それは、縦位置の人間関係の愛情だろうと思い、『せんせい』を書いた」(阿久悠著、「夢を食った男たち」)。

 やがて、山口百恵、桜田淳子とともに「中3トリオ」として、トップスターに駆け上がった。百恵と淳子がいわゆるアイドルだったのに対し、森昌子の立ち居地は歌の上手い歌手だった。「それが強いプレッシャーで早く辞めたかった」という。

 夢だった結婚もして望み通り引退。しかし、人生はいろいろある。今は「長く歌を歌っていたい」という純粋な気持ち。東日本大震災の被災地をマスコミに触れ込みもせず、慰問に周った。照明も楽団もない、メークもせずに、マイク1本だけで歌った。スターという上から目線ないからこそ、聴いた人は心を打たれるのである。

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